『ロケットマン』

エルトン・ジョンの自伝的半生を描いた映画『ロケットマン』を観た。エルトン・ジョンの名曲の数々をミュージカル仕立てで織り込んだ華やかさとは裏腹に、見終わった後に何とも言えない切なさと静かな強さが心に芽生えてくるような、そんな映画だった。

1.「ステージから降りる」という物語

モチーフや時代背景、監督といった共通点により、QUEENを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』と比較する声が多いのは当然の成り行きかもしれない。私にとってはそれぞれの映画の冒頭の場面の違いが鮮烈だった。

それぞれの映画の冒頭、フレディ・マーキュリーはライブエイドのステージに向かい、エルトン・ジョンは依存症者の自助グループのミーティングに向かう。何万人もの聴衆が待つスタジアムのステージへの階段を軽やかに駆け上がるフレディ・マーキュリーと、ほんの10数名が待つ薄暗い部屋に続く廊下を渇望と焦燥の塊のようになって歩くにエルトン・ジョン。この対比が象徴するように、『ボヘミアンラプソディ』がロックスターが「ステージに上がる」ことをクライマックスとした物語なのだとすれば、『ロケットマン』はむしろロックスターが自らの意志で「ステージから降りる」ことをクライマックスにした物語だった。

ロックスターにとってステージを降り「自分の問題」に向き合うことが実は、ステージ上で何万人もの聴衆を湧かせることよりも困難であったというこの物語は、機能不全家族で育つ子どもの傷の深さと依存症からの回復の過酷さを示していた。それは同時に、ショービジネスの世界でスターダムを駆け上がることのリスクを映し出してもいた。そして、だからこそ、ロックスターは悲しく、美しいのだということも。

 

2.感情の麻痺

この映画を「依存症」に焦点を当てて観るならば、その回復における重要なポイントが丁寧に描かれていることに気づかされる。機能不全家族の子どもであり、依存症当事者のエルトンジョンが制作総指揮でなければ描けなかったであろうと思える場面がいくつもあった。そして、そのことに関連して印象深かったのはエルトン・ジョンがステージに向かう場面だった。

例えば、初めてのアメリカ「トルバドール」でのショーの直前、緊張でトイレに閉じこもっていたものの意を決してステージに向かう場面。ド派手な衣装に身を包み虚ろな表情でドラッグを吸引した後、ステージに踊り出ていく場面。ドジャースタジアム公演で、心身ともに瀕死の状態ながら小道具のバットを手にした瞬間、スイッチが入ったように表情を変え堂々とステージに登場する場面――いずれの場面でも、ステージに立ったエルトン・ジョンは直前までのネガティブな感情を一切見せず、水を得た魚のように、まさに「翼の生えたブーツ」を履いたように飛び跳ねていた。

けれど同時に、バックステージからステージに向かう過程を描いたこれらの場面は、エルトン・ジョンにとってステージに上がることは「感情を麻痺」させることだったことを示唆していた。アルコール、コカイン、セックス、買い物・・・そこで得ているのは快楽ではなく「感情の麻痺」なのだという、依存症の専門書に書いてある通りのことが、強く思い出された。同時に、エルトン・ジョンをロックスターにしたのは、その音楽的才能だけでなく、親との関係において幼い頃から自分の感情を押し殺すことに慣れていたことでもあったのかもしれないと思った。だから、エルトン・ジョンの目を見張るような奇抜なメガネや衣装は、エンターテイメントのサービス精神であると同時に、自分からも他者からも自分の感情を隠す仮面であり鎧であるように思えた。

映画冒頭の自助グループのミーティングでの自己紹介の中で、エルトン・ジョンは数々の依存症を挙げた後で、「癇癪持ち(anger managemnt)」と付け加えていた。彼にとって感情とは、「麻痺させる」か「爆発させるか」の二者択一しかなかったのだということを、依存症とは感情の問題でもあることを、伝えていた。

物語の終盤で、更正施設を訪ねてきた盟友のバーニーからまだピアノを弾かないのかと尋ねられ、「無能であること」ではなく「感情が戻ってくること」の恐怖が指摘される場面は、依存症の回復は依存対象を断つことであると同時に自分の感情を認め、受け入れることだと伝えていた。だから、自助グループでのミーティングの場面で、エルトン・ジョンは終始涙ぐんでいた。自分の心の深いところから湧き上がってくる悲しみを味わうように泣いていた。そしてその涙が次第に穏やかな涙へと変化していることが印象的だった。

 

3.「毒になる親」への答え

押しも押されぬ大スター、億万長者となった後でも、エルトン・ジョンは親の前では子どもの頃と同様に強張った表情をしていた。決して彼のニーズに応えることのない親への怒りが失望そして悲しみへと変化するその姿は、それらの感情が親の前では押し殺されているがゆえに余計に胸を締め付けられるものだった。特に、公衆電話から母親に自分が同性愛者であることをカミングアウトする場面の、今にも泣き出しそうな、怯えたような表情は、エルトン・ジョンにとって親という存在がいかに「恐ろしい何か」であったことを伝えていた。「なぜ自分は親から愛されないのか」という問いが、彼の人生の根源にある悲しみであり、苦しみであったことが痛いほど伝わってきた。この場面のタロン・エジャトンの演技は、「迫真」という言葉、あるいは「演技」という言葉すら超えた何かを感じさせるものだった。

映画の終盤、自助グループでのミーティングにおいて、エルトン・ジョンは彼の人生の「重要な他者」一人ずつと対話する。祖母、母親、父親、継父、真の愛情では結ばれなかったマネージャーのジョン、作詞家で生涯の盟友バーニーそして、幼き日の自分(本名のレジー・ドワイト)。

この場面で、家にピアノを置いていたこと、母親の趣味ゆえにエルビスプレスリーを教えリーゼントを許したこと、無関心ゆえに我が子が音楽の道に進むことに干渉しなかったことーーこれら以外には、「毒になる親」でしかなかった両親を前にして、大人になったエルトン・ジョンが幼き日の自分(本名のレジー・ドワイト)を抱きしめた瞬間が、この映画のハイライトであり、そして「なぜ自分は親から愛されないのか」という問いに対する答えなのだと思った。 

「父親にハグしてほしい」というささやかであるけれど決して叶うことのなかった幼き日のエルトン・ジョンの願いを叶えたのは、親でも恋人でも盟友でもなく、大人になった彼自身だったということ。幼き日の自分を抱きしめるエルトン・ジョンと、大人になった自分に抱きしめられる少年レジー・ドワイト。その二人の姿は、こう伝えているようだった。

心の底から変わってほしいと願ったけれど、自分の親は変えられない。けれど、自分は変わることができる。
喉から手が出るほどほしいと願ったけれど、自分の親からはもらえない。けれど、大人になった自分が与えることができる。

このことは、エルトン・ジョンの人生の中で数少ない、彼への変わらぬ「愛情」を保ち続けたバーニーが、更正施設での面会の別れ際に「自分で立ち直れ」とエルトン・ジョンに言い残して立ち去る姿と符号するように思えた。

 

4.ロックスターのイノセンス

エルトンジョンの名曲で華やかに彩られたミュージカルシーンも、稀代のエンターテイナーぶりを見せ付ける圧巻のライブシーンも素晴らしかった。けれど、それらと並んで、あるいはそれ以上に、若き日のエルトンとバーニーが互いの歌詞とメロディを交わし、「あの名曲」が誕生する瞬間の美しさが印象的だった。

夢が叶う瞬間、奇跡が起きる瞬間というのは、実はとてもさりげない控えめな表情でやってくるのかもしれないということ。

そして、この映画の中で私の一番お気に入りの場面は、初めてのアメリカに着いたエルトン・ジョンとバーニーが、車の中から「タワーレコード」の看板を見てキョロキョロする場面だ。うまく言えないけれど、そういうイノセンスと地続きだからこそ、どんなに大きなステージに立っても、どんなに派手な衣装を着ても、ロックスターは遠くならず、いつも私達のそばにいるのだと思う。だから、エルトン・ジョンの歌はいつも聴衆にこう語りかけているのだろう――「これは君の歌だ(this is your song)」、と。

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