劇団フライングステージ第48回公演『Four Seasons 四季 2022』(2022/11/03 下北沢OFF・OFFシアター)

会場で配布された「ご挨拶」には「劇団フライングステージは1992年11月3日に第1回公演を行いました。」とあった。それからまさに30年後の11月3日に劇団フライングステージのお芝居を観た。

「30年」という「節目」の年の作品となった、ゲイ達が住むアパート「メゾン・ラ・セゾン」を描いた物語では、巡る季節に抗うよりもそれに寄り添い、それを受け入れようとする登場人物達の横顔が印象的だった。そしてこの物語はこれまで以上に率直に「老い」や「死」そして「家族」というものに向き合っていた。

1.登場人物の年齢
会場で配布されたリーフレットの「配役」には、登場人物の名前の後の括弧書きでそれぞれの年齢が記されていた。例えば(51歳高校教師)(52歳「メゾン・ラ・セゾン」の大家)のように。私の記憶では、登場人物の年齢がこんなふうに記されていたことはこれまでなかったと思う。

「年齢なんてただの数字に過ぎない」とは言い切れなくなった「老い」という現実を背負った存在として登場人物を位置付けていることに、この作品のテーマが「老いと死」であるという強いメッセージを感じた。そして、唯一の20代の登場人物の「メゾン・ラ・セゾン」の入居を拒んだところに、主体的に「変化」を生きようとする老いゆく人間の気概を感じた。

2.空の椅子と喪失
劇団フライングステージのお芝居では、いつも舞台の上に空の椅子(エンプティチェア)が並んでいる。劇の冒頭で、倒れた空の椅子を愛おしそうに起こす姿は、この物語が「喪失」の物語であることを告げていた。その椅子に亡くなった主人公・平谷賢の遺骨が置かれる場面は、「死」がとても生々しいものに感じられてドキリとした。物語の終盤で、主宰者の関根さん演じる相庭弘毅が杖をついて歩く姿も同様だった。

そして、長く一緒に暮らしてきたゲイの仲間達が、それぞれの事情を抱えながら自分に正直に生きようとするがゆえに互いにすれ違い「メゾン・ラ・セゾン」を去っていく姿もまた、人生におけるひとつの季節の終わりという「喪失」を描いていた。50代のゲイ達が一緒に「エンディングノート」を書いたり運動したりする中でバラバラになっていく過程は、「ともに老いる」ことの難しさをリアルに描いていた。

3.家族みたいなもの
物語の終盤、「メゾン・ラ・セゾン」の歴史が語られる中で発せられた「かつて家族みたいなものがあった」という台詞がとても印象的だった。「家族みたいなもの」という言葉が含意する「(本物の)家族なるもの」とは何なのか、それはどこにあるのかという問い。「同性パートナーシップ宣誓」によって得られる権利、親族の介護において負わざるを得ない経済的負担、ヘテロセクシャルの独身男性である兄を苛む偏見、父親の病院を息子が継ぐという世襲――物語の中に現れるさまざまな「家族なるもの」の側面は、それが一つの答えに収斂し得ないやっかいなものであることを示していた。

だから、家族になったら解決すると思っていた問題は、家族になったから解決するわけではないのかもしれず、また別の家族であることの問題に置き代わるだけなのかもしれない。同時に、誰もが皆、「家族なるもの」の周りをぐるぐると回って「家族みたいなもの」の断片を手にしているに過ぎないのかもしれない。そんなことを考えた。

物語の最後の場面。たわいもないゲームに興じて笑顔を見せる彼らは、「家族」ではなかったけれど、「家族」と同じかそれ以上の尊い何かを示していた。

4.僕の欲しいもの

会場で配布された「ご挨拶」の中で関根さんはこんなふうに書いていた。

フライングステージの旗揚げ当時、演劇仲間に「ゲイの演劇なんて、差別や偏見がなくなったら、やれなくなっちゃうのに、なんでそんなことするのか」と言われました。差別や偏見をなくすためにやるんじゃないからと反論したことを覚えていますが、30年経った今も差別や偏見はまだ見えないところで存在しています。

この1文を読んで、20年前のインタビュー(※)で関根さんが語った言葉を思い出した。「もしかしたら、僕は単純に『若い頃の僕が欲しかったもの』を今やってるのかもしれないんだけどね」。セクシャルマイノリティを取り巻く社会のありようと切り結びつつ、「自分が欲しいもの」を追い求め続けてきたことがフライングステージの30年であるのだと思う。

※「第11回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」ウェブサイトでのインタビュー。

https://rainbowreeltokyo.com/2002/2002_03/07_fs01.html

https://flyingstage.stage.corich.