劇団フライングステージ第48回公演『Four Seasons 四季 2022』(2022/11/03 下北沢OFF・OFFシアター)

会場で配布された「ご挨拶」には「劇団フライングステージは1992年11月3日に第1回公演を行いました。」とあった。それからまさに30年後の11月3日に劇団フライングステージのお芝居を観た。

「30年」という「節目」の年の作品となった、ゲイ達が住むアパート「メゾン・ラ・セゾン」を描いた物語では、巡る季節に抗うよりもそれに寄り添い、それを受け入れようとする登場人物達の横顔が印象的だった。そしてこの物語はこれまで以上に率直に「老い」や「死」そして「家族」というものに向き合っていた。

1.登場人物の年齢
会場で配布されたリーフレットの「配役」には、登場人物の名前の後の括弧書きでそれぞれの年齢が記されていた。例えば(51歳高校教師)(52歳「メゾン・ラ・セゾン」の大家)のように。私の記憶では、登場人物の年齢がこんなふうに記されていたことはこれまでなかったと思う。

「年齢なんてただの数字に過ぎない」とは言い切れなくなった「老い」という現実を背負った存在として登場人物を位置付けていることに、この作品のテーマが「老いと死」であるという強いメッセージを感じた。そして、唯一の20代の登場人物の「メゾン・ラ・セゾン」の入居を拒んだところに、主体的に「変化」を生きようとする老いゆく人間の気概を感じた。

2.空の椅子と喪失
劇団フライングステージのお芝居では、いつも舞台の上に空の椅子(エンプティチェア)が並んでいる。劇の冒頭で、倒れた空の椅子を愛おしそうに起こす姿は、この物語が「喪失」の物語であることを告げていた。その椅子に亡くなった主人公・平谷賢の遺骨が置かれる場面は、「死」がとても生々しいものに感じられてドキリとした。物語の終盤で、主宰者の関根さん演じる相庭弘毅が杖をついて歩く姿も同様だった。

そして、長く一緒に暮らしてきたゲイの仲間達が、それぞれの事情を抱えながら自分に正直に生きようとするがゆえに互いにすれ違い「メゾン・ラ・セゾン」を去っていく姿もまた、人生におけるひとつの季節の終わりという「喪失」を描いていた。50代のゲイ達が一緒に「エンディングノート」を書いたり運動したりする中でバラバラになっていく過程は、「ともに老いる」ことの難しさをリアルに描いていた。

3.家族みたいなもの
物語の終盤、「メゾン・ラ・セゾン」の歴史が語られる中で発せられた「かつて家族みたいなものがあった」という台詞がとても印象的だった。「家族みたいなもの」という言葉が含意する「(本物の)家族なるもの」とは何なのか、それはどこにあるのかという問い。「同性パートナーシップ宣誓」によって得られる権利、親族の介護において負わざるを得ない経済的負担、ヘテロセクシャルの独身男性である兄を苛む偏見、父親の病院を息子が継ぐという世襲――物語の中に現れるさまざまな「家族なるもの」の側面は、それが一つの答えに収斂し得ないやっかいなものであることを示していた。

だから、家族になったら解決すると思っていた問題は、家族になったから解決するわけではないのかもしれず、また別の家族であることの問題に置き代わるだけなのかもしれない。同時に、誰もが皆、「家族なるもの」の周りをぐるぐると回って「家族みたいなもの」の断片を手にしているに過ぎないのかもしれない。そんなことを考えた。

物語の最後の場面。たわいもないゲームに興じて笑顔を見せる彼らは、「家族」ではなかったけれど、「家族」と同じかそれ以上の尊い何かを示していた。

4.僕の欲しいもの

会場で配布された「ご挨拶」の中で関根さんはこんなふうに書いていた。

フライングステージの旗揚げ当時、演劇仲間に「ゲイの演劇なんて、差別や偏見がなくなったら、やれなくなっちゃうのに、なんでそんなことするのか」と言われました。差別や偏見をなくすためにやるんじゃないからと反論したことを覚えていますが、30年経った今も差別や偏見はまだ見えないところで存在しています。

この1文を読んで、20年前のインタビュー(※)で関根さんが語った言葉を思い出した。「もしかしたら、僕は単純に『若い頃の僕が欲しかったもの』を今やってるのかもしれないんだけどね」。セクシャルマイノリティを取り巻く社会のありようと切り結びつつ、「自分が欲しいもの」を追い求め続けてきたことがフライングステージの30年であるのだと思う。

※「第11回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」ウェブサイトでのインタビュー。

https://rainbowreeltokyo.com/2002/2002_03/07_fs01.html

https://flyingstage.stage.corich.

Debonaire × b-flower(2022/06/18 新代田FEVER)

井の頭線に乗り換えるために久しぶりに降り立った渋谷駅は、大きく変貌していた。時間の流れの早さに追い越されるように日々を送りながらも、ずっと昔にb-flowerのライブを渋谷のライブハウスで観た記憶があまり色褪せていないことの不思議を思った。そして今日、約3年半ぶりのb-flowerのライブは「懐かしさ」の入り込む余地のない「みずみずしさ」に貫かれていた。b-flowerは2022年のロックバンドだった。

2020年にリリースされた『何もかもがダメになってしまうまで』の2年越しの「レコ発ライブ」でもある今回のライブでは、新しい曲が初期の曲とも違和感なく並んでいて、そこにb-flowerの世界観やスタイルを貫く「芯」のようなものを改めて感じた。“日曜日のミツバチ”で虚ろに眺めた6月の曇り空は“葉桜”の「薄青の空」に重なりつつ、曇り空の下を憂鬱と葛藤を携えながら歩んできたバンドの逞しさを裏付けているような気がした。

ゲストも迎えてそれぞれの曲の表情と輪郭を鮮明にしつつ、繊細だけれど力強くアグレッシブだけれどしなやかな、ライブバンドとしてのb-flowerの存在感が際立ってくる演奏だった。「グライダーと長靴」のキーボードソロがそれを最も象徴しているようで、とても印象的だった。間違いなく今日のライブのハイライトの一つだった。

ライブの最後は“舟”だった。この曲が約3年半前の高円寺HIGHのライブでは1曲目だったことを思い出した。

地図を持たない僕らだけど
どこかにやがては着いてしまう
どこまで こんなふうにして うまく
雨をよけながら
風を追いかけながら

叫ぶのではなく囁くように歌われる美しいマニフェストが、b-flowerの「これから」を静かに薄明るく照らしている、そんな気がした。

いいライブだった。

b-flower セットリスト(2022/06/18)
SPARKEL
Another Sunny Day
つまらない大人になってしまった
始まる、もしくはそこで終わる
日曜日のミツバチ
僕は僕の子どもたちを戦争へは行かせない(feat.遊佐春菜)
春にして君を想う(feat.THE LAUNDRIES TERRY  trumpet)
ペニーアーケードの年
Bye Bye Canary Bird
自由になりたい
グライダーと長靴
イノセンス ミッション(feat.THE LAUNDRIES TERRY  trumpet)

-Encore-

冷蔵庫に捨てる(Instrumental guitar)
葉桜
地の果てより発つ

-Encore2-

 

吉井和哉 THE SILENT VISION TOUR 2021-22(2021/12/28 日本武道館)

12月28日恒例の吉井和哉日本武道館公演の中でも、特に印象に残るライブになった。
セットリストも演出もそして吉井和哉の佇まいも全て含めて、吉井和哉の現在地を正直に明かしたライブだったと思う。12月28日という特別な日の武道館公演だからといって無理に笑うことも盛り上げることもないその姿勢に素っ気なさも感じたけれど、観客として「信頼されている」とも感じもした。

キャンセルカルチャーなどの昨今の世の中への違和感を歌った「〇か×」で始まったセットリストは、全てソロの楽曲で、古参ファンでも曲名を思い出すのに時間がかかる曲がいくつもあるようなマニアックなセットリストだった。“フロリダ” “欲望" "黄金バッド"と続いた時には思わず笑ってしまった。終演後私の後ろにいた二人組の女性は「途中からテイスト変わるかと思ったけど変わらなかったね…」と話していた。「甘くないソリッドなロックンロール」で貫いた抑制のきいたなセットリストだった。

個人的には、常にライブの5~6曲目で辺りで歌われる“SIDE BY SIDE”が嬉しかった。吉井和哉のソロライブでは、この曲での歌唱の印象がライブ全体の印象に重なることが多い。その意味で、今回のライブは「充実」していたと思う(高音が裏返る瞬間などが多少あったけれど)。私が聞きたいと思っていた曲(Sweet Candy Rain、NATURALLY、雨雲、Ruby、バスツアー、HEARTS、ROUTE69)は聞けなかったけれど、今回のセットリストを選んだ吉井和哉にアーティストとしての気概、気骨を感じた。

ステージ後ろのスクリーンにはそれぞれの曲に似合ったスタイリッシュな映像が映し出されていて、スクリーンに吉井和哉の顔が映し出されたのはアンコールの“FINAL COUNTDOWN”の時だけだった。スクリーンの映し出された吉井和哉の瞳は「涙目」のように見えた。

アンコール最後の“みらいのうた”を歌う前、吉井和哉は「個人的なことなんですけど…」と前置きして、父親が亡くなって今年で50年になること、「人は死んでから50年経つとゼロになる」ことを語った。さらに、アーティストとしての自分に残されている時間は多くはないと感じていること、コロナ禍でいろいろなことが変化していることも。人生における節目と変化、そして今もなお続く「向かい風」の状況に対して文字通り「祈る」ように歌われた“みらいのうた”は、この曲のためだけに今日のライブがあったとしても不思議ではないくらいに、美しく深い印象を残すものだった。

吉井和哉のようにその人生と生み出す音楽が分かち難く結びついているアーティストのファンを長く続けていたら、そしてその音楽に自分自身の人生を重ねるような聞き方をしていたら、いつの頃からか吉井和哉を「戦友」のように感じるようになった。そのせいか、12月28日の日本武道館でのライブは私にとって「戦況報告会」のようでもある。今回のライブから、「戦況」の見通しは不透明ではあるけれど、決して諦めることはないというメッセージを受け取った気がした。

吉井和哉セットリスト(2021/12/28)
〇か×
無音dB
Biri
フロリダ
欲望
黄金バッド
SIDE BY SIDE
RAINBOW
クランベリー
シュレッダー
ロックンロールのメソッド
MUSIC
点描のしくみ
Hattrick'n
PHOENIX
ビルマニア

―encore―
WINNER
WEEKENDER
FINAL COUNTDOWN
みらいのうた

吉井和哉「みらいのうた」

吉井和哉の新レーベル“UTANOVA”からデジタルリリースされた新曲「みらいのうた」。

何もかも嫌になった こんな時何をしよう>と歌い出されるこの曲は、「コロナ禍」の生き難さをなぞりながら、過去を振り返り現在に向き合いそして未来へと思いを馳せる吉井和哉の横顔を浮かび上がらせる。

その歌声にはスマートフォンのボイスメモを聞いているかのような「近さ」と、弱さを分かち合う「優しさ」があって、吉井和哉の声の力を改めて感じた。静かに慎重に歌い出された歌が、曲が進むにつれて帆が風をはらむように力強く優しく、心に届いてくる。2コーラス目から美しいストリングスアレンジが加わるけれども抑制的で、曲全体を通して吉井和哉の声が強く印象に残る。

曲のタイトルから、ザ・イエローモンキーが2020年にリリースした「未来はみないで」の返歌のようにも思える一方で、吉井和哉がこれまでにソロとして発表してきた曲がいくつも思い浮かんだ――<プリーズ もうこれ以上 悪い出来事が 君と僕とに起きないように>という“LOVE&PEACE”(2011)の奥ゆかしい祈り、<そう誰にも見えない未来を行かなくちゃ>という“Don't Look Back In Anger”(2013)の怯えと覚悟、そして<あの日蒔いた種が育った/名前のない島へ行こう>という“Island”(2018)の過去と未来の交錯。これらの曲の面影が交錯しつつ、「みらいのうた」には吉井和哉のさらなる境地も感じた。

いつか全てが変わるなら今日もただ耐えよう
何度でも何度でも立ち上がってみせるよ
いつかここから消えるなら今日もただ歌おう
いろいろいろんなこと知ってしまう後も
君と僕を繋ぐメロディになるなら
怖くはない 未来の歌
いつか叶え
未来の歌

「いつか全てが変わる」ということは「ただ一切は過ぎ去る」ということでもある。それは、どんな辛苦もいつか必ず終わりを迎えるという救済であると同時に、大切なものも全ては消え去るという無常でもある――そんな未来の両面を一つの歌の中で同じ重みで抱きしめるように歌うということ。だから、この曲の吉井和哉の歌声はどこか儚げで、とても切ない。その切なさを通して、歌い手と聴き手が同じ時代を生きていることの、<君と僕を繋ぐメロディ>の奇跡を考えずにはいられなかった。

 歌詞の中の<幼い記憶だから寂しく思うけど/貝殻に耳を当てながら見た海よ>というフレーズがとても美しくて好きだ。「空」ではなく「海」が象徴するものは、吉井和哉にとって何なのだろうかと考えている。

付記:この記事を書いた翌日、自宅から車を走らせたその瞬間に、カーラジオから何の曲紹介もなくこの曲が流れてきた。感激と感傷が混じったような何とも言えない気持ちになった。夏空の下ハンドルを握りながら、この曲は、曲名も歌い手の名前も何も知らずにふいに耳にした人の心を静かに震わせて少しずつ多くの人に広がっていく、そんな歌になるんじゃないかと思った。

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吉井和哉|YOSHII KAZUYA OFFICIAL WEBSITE

『映画:フィッシュマンズ』

メジャーデビューから30年、佐藤伸治がこの世を去ってから22年となるこの夏に公開となった「映画:フィッシュマンズ」。映画の中で、欣ちゃんは、デビュー直後のセールスについて「オーストラリアのレコーディングから帰国して1stアルバム『Chappie,Don't Cry』が5万枚売れると思ってた。だけど、5千枚も売れなかった(笑)」と語っていた。その「5千枚も売れなかった」うちの1枚を、私は1991年の5月に手にした。そんな私にとって、フィッシュマンズがいた風景を当時の映像と関係者のインタビューとともに描いた172分は、いくつもの確認と発見、そして永遠に続くであろう切ない問いを残すものだった。

 

1.フィッシュマンズと「世の中」
映画の序盤では、メジャーデビュー後の状況として、音楽雑誌等での不本意な評価やセールスの不発、テレビドラマのタイアップになったシングル「100ミリちょっと」のでの葛藤など、必ずしもバンドの思い通りの状況ではなかったことが赤裸々に語られていた。けれど、それを語る人達の口調、当時の佐藤伸治の表情やバンドの雰囲気は総じて明るかった。「そうそう、フィッシュマンズって明るいバンドだったなぁ…」とスクリーンの中の、あどけない表情で力いっぱい歌う佐藤伸治を見ながら思った。同時にそれは、1990年代前半(阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件以前)の世の中の明るさ、楽観性みたいなものとも無縁ではないような気がした。

佐藤伸治は「世の中」と距離を取る人だった。けれどその一方で、「炭鉱のカナリア」のように「世の中」のあり様を感じていたようにも思った。1stアルバムをプロデュースしたこだま和文氏が生前の佐藤伸治のこんな言葉を挙げていた。「お腹いっぱいっていやだよね」——1966年から1999年の東京という、日本の最も豊かな時代と場所を生きたであろう佐藤伸治の独特のストイックさを思うとき、佐藤伸治はむしろ「世の中」を感じていたのかもしれないと思った。感じてしまうからこそ、距離を取ろうとする姿勢が、フィッシュマンズの「閉じた」世界観に通じていたのかもしれない。

 

2.佐藤伸治のアンビバレンツ
映画の中では佐藤伸治の直筆のノートが映し出されていた。走り書きであっても「絵」になる、味のある可愛らしい筆跡だった。佐藤伸治はノートに「売れたい理由」と「売れたくない理由」をそれぞれほぼ同じ数だけ書いていた。「売れたくない理由」というのがとても佐藤伸治らしいと思った。佐藤伸治は、自分の音楽を「わかってほしい」と強く願いつつ、にもかかわらずというよりもだからこそ、「簡単にわかるはずがない」「簡単にわかられてたまるか」という思いも同じぐらい強く抱いていたように思う。自分の音楽に対する確信のその一方で、その確信が裏切られることに対してとてもナイーブだったのだと思う。「売れることは誤解されること」と言ったのは誰だったか。佐藤伸治ならば「誤解されるぐらいなら売れたくない」と言っただろう。だから、フィッシュマンズの音楽は、寄り添っているようで離れているような、そっけないようでいて人懐っこいような、一筋縄ではいかない感触を残す。

そして、それはフィッシュマンズのファンだけでなく、バンドメンバーやスタッフに対する佐藤伸治の接し方にも通じていたのかもしれないと思った。1995年に脱退したギタリストの小嶋さんの「変わり者だね、あいつはね(笑)」という言葉の中に、他者に頼りつつも質すような、他者に甘えつつもジャッジするような佐藤伸治のアンビバレンツな他者との関係を感じたりもした。そして、そのようなアンビバレンツは、他者だけでなく彼自身にも向けられていたのかもしれない、と思った。。

 

3.気づいてみたら さみしい人だった
1996年にリリースされた『空中キャンプ』から『LONG SEASON』、そして『宇宙日本世田谷』へと至る過程は、音楽的な飛躍と評価の高まりとは裏腹に、浜辺の砂山が少しずつ波に削られていくようなバンドのシビアな内情を映し出していた。当時ほとんど語らられることのなかったHAKASE氏と譲さんの脱退の経緯(理由)については、本人達が語る言葉以上にその行間に、バンド内の、佐藤伸治とのディスコミュニケーションがあったことが感じられた。当時は一ファンとしてそんなことは知る由もなかったけれど、『空中キャンプ』以降のフィッシュマンズのライブに自分が足を運ばなくなったことと、それは全く無縁ではないような気もした。酩酊感と浮遊感の一方で、実はとても醒めていて深く深く潜っていくような、一種の「引き裂かれ」感が『空中キャンプ』以降のフィッシュマンズの音楽にはより強く感じられた。私は、それに向き合う際の緊張感を無意識のうちに避けるようになってしまったのかもしれない。

『空中キャンプ』を手にしたとき、そのジャケットに覚えた違和感を思い出す。『Neo Yankees' Holiday』の抜けるような青空、『ORANGE』の夕暮れのオレンジ色を経た、色の抜けたような灰色の空がどこか重苦しく感じられた。そして、何らかの「境地」を目指して研ぎ澄まされたサウンドとグルーブに載せられた佐藤伸治の言葉は無力感と諦観のようなものを滲ませていて、前作『ORANGE』収録の「感謝(驚)」の<気づいてみたら さみしい人だった>というのは佐藤伸治自身のことだったのか、と思った記憶がある。佐藤伸治は「さみしい人だった」。

映画の後半、特に『LONG SEASON』以降、佐藤伸治の笑顔が少なくなっていて、とても切ない気持ちになった。シングル「ゆらめきIN THE AIR」のテーマについて「孤独について考えた」と話す佐藤伸治の表情は、何かを隠したいような曖昧な笑いを浮かべながらも今にも泣きだしそうに見えた。そして、佐藤伸治にとって最後のライブとなった1998年12月28日の「男達の別れ」で、「IN THE FLIHT」を歌う佐藤伸治の瞳は暗闇の中でビー玉みたいにきれいに光っていた。けれど、その輝きは涙をが浮かべているようで、「佐藤さんは何がそんなにさみしかったんだろう、何がそんなに悲しかったんだろう」と考えた。考えたけれど、答えはなかった――。

映画の終盤でこだま和文氏が佐藤伸治について語った「(イメージを)自分の心の中だけで充実させている」という言葉がとても印象的だった。佐藤伸治は、自分のさみしさや悲しさを自分の中だけでどんどん研ぎ澄まし、膨らませ、充実させていったのかもしれない。

 

4.ファンからの手紙
2ndアルバム『KING MASTER GEORGE』リリース直後、佐藤伸治が川﨑大助さんとともにパーソナリティを務めていた深夜のFM番組「フィッシュマンズのアザラシアワー・ニジマスナイト」に手紙を書いたら、佐藤伸治本人に読んでもらえた。それはこんな手紙だった。

佐藤さん、川﨑さんこんばんは。毎週楽しく眠い目をこすりながら聞いています。
早速ですが、『KING MASTER GEORGE』買いました。とても気に入りました。骨っぽいけれど押しつけがましくなく、ナイーブだけれどめそめそしていない、クールで前向きになれるアルバムだと思いました。
1stの『Chappie, Don't Cry』のときは、「なんてガードの堅いバンドなんだろう」と思っていて、絵にたとえて言うと、水彩画のわざと残した余白を何重にも白く塗っているようで、内容のイノセンスさとそのガードの堅いところがとても切実に感じました。もちろん『Chappie, Don't Cry』も大好きなアルバムです。
今度の『KING MASTER GEORGE』は、筆跡が身近に感じられるような油絵みたいだと思いました。私は「いい言葉ちょうだい」と「頼りない天使」が特に好きです。
勝手にレビューようなことを言ってすみません。でも本当にそう思っています。

この手紙を、佐藤伸治は「これは結構、いい線ついてますね、なんかね」などと言って、とても喜んでくれた。「佐藤さんはどうしてそんなに喜んでくれたんだろう」と思ったりもしたけれど、この映画を見て佐藤伸治が喜んでくれたことが、今まで以上に嬉しいことだと思えるようになった。 


佐藤伸治が亡くなってから、フィッシュマンズの音楽を聞くことはとても少なくなっていた。心のどこかで避けていたのかもしれない。けれど、この映画を見てまたフィッシュマンズの音楽をかつてのように聴けるようになった。フィッシュマンズの音楽を口ずさめるようになった。この映画を観て良かったと思う。

 

付記:映画のパンフレットにはスピッツ草野マサムネが寄稿している。亡き人を語るにはいささか淡々としたその文章は、それゆえにその行間から、佐藤伸治に対する深い尊敬と惜別を感じさせるものになっている

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映画:フィッシュマンズ公式サイト (fishmans-movie.com)

劇団フライングステージ第47回公演『アイタクテとナリタクテ』『お茶と同情』(2021/06/26 座・高円寺)

劇団フライングステージ第47回公演は、『アイタクテとナリタクテ』と『お茶と同情』という、どちらも学校を舞台にした作品の再演。小学生と教育実習生--どちらもその場所、その立場を通過点として旅立っていく「幼き/若き人々」の眩しく健やかな姿とともに、そんな彼らの姿を通してその対岸にいる「大人」達を映し出す物語でもあった。駆け抜けることはできるけれど立ち止まることはできないというような、そんな「不安定な橋」を渡ることが子どもから大人になることなのだと告げているようでありながら、「かつての子ども」である大人達もまた子ども達の危なっかしい姿に手繰り寄せられるようにして再び「その橋」のたもとに連れ戻されているようでもあった。

「大人と子ども」「過去と未来」「個人的なことと社会的なこと」——どの物語にもコインの両面を行き来するような重層性があって、作・演出の関根さんの公演に寄せた言葉を引用するならば、観客一人一人が自分を映す「鏡」を必ずどこかに発見できる物語になっていた。

『 PINK ピンク』
絵本の原作のような、幼児にもわかる言葉で紡がれた朗読劇。ピンクのランドセルが欲しいという男の子とそれに抵抗する家族との対話とは対照的に、夢で出会う動物達がピンクのランドセルを羨ましがる理由が「ソーセージの色」「肉球の色」「コスモスの色」という発想によって「ピンク=女の子の色」というステレオタイプ自体を相対化している点がさりげなく見事だった。そして、夢の中、森で出会った「ピンクのランドセルが欲しかったけれど黒いランドセルを買わされた」男の子の姿に、主人公の父親がかつて幼き日にからかった男の子の面影が重なって、シンプルな物語が複数の世代を繋ぐ奥行きのある物語になっていた。

今、私が欲しいものは、かつて誰かが欲しいと願ったけれど手に入れられなかったものなのかもしれないということ。そして、それを手に入れることは、誰かのかつて叶わなかった願いを叶えることでもあるということ。ピンクのランドセルを買うことを父親に受け入れてもらえた主人公が言った「僕とその子のランドセルだね」という言葉に象徴される、世代(時代)の重なりが『アイタクテとナリタクテ』『お茶と同情』でも貫かれているように感じた。

台本のカヴァーにしたカラフルな色画用紙を生かした演出もシンプルだけど巧みだった。

『アイタクテとナリタクテ』

学芸会で上演する『人魚姫』で人魚姫を演じたいと立候補した翔と、その友達である大河、悠生の3人の小学6年生をめぐる物語。2019年の初演時では劇中で上演される『人魚姫』の物語をあまり意識しなかったけれど、今回は、実はその物語が「自己愛」(人魚姫が王子を殺して人魚に戻る)と「自己犠牲の愛」(王子を殺さずに海の泡となる)という質の異なる「愛」の選択を迫る物語であったことに気づいた。「友情と恋心」「家族の愛とカップルの愛」といった異なる種類のさまざまな「愛」に出会い、「わかんない」と戸惑いながらも足を止めずに「新しい扉」を開けていく少年達の姿が印象的だった。

「LGBTQ」という言葉を率直さと寛容さをもって話題にする3人の少年の爽やかな姿と、彼らの「人魚姫を演じたい」という可愛らしい欲求に向き合う大人達の複雑な表情が対照的だった。同時に、「人魚姫にナリタイ男友達」と「王子様にアイタイ男友達」さらに「二人の父親」を持つ少年大河の言葉にならない戸惑いや苛立ちもまた印象的だった。子どものカミングアウトに大人が戸惑い、大人のカミングアウトに子どもが戸惑うという世代間の双方向性が日常の風景の中に描かれ、それが受容される結末を迎えているところに、時代の変化を感じた。

劇中劇の『人魚姫』が二人の王子様が結ばれるというハッピーエンドで終わったように、物語は「他の誰かにナリタクテ」と「会いたい人にアイタクテ」という少年達の願いを叶える結末だった。けれど、流れの早い川を泳ぐ魚のように生きる子ども達はあっという間に今の場所からいなくなって、次の場所に向かう。その場所で「他の誰かになること」から「自分自身になること」へ、「誰かに出会うこと」から「出会いを守り育てること」へという成長の橋を、彼らはどんなふうに渡っていくのだろうかと考えた。

今回の公演では、2019年の初演とは異なっていた点がいくつかあった。初演では、人魚姫の役を得た同級生の女子陽菜が最後になって翔に完全に役を譲っていたが、今回は人魚姫の場面は陽奈が、人間になってからの(セリフの無い)場面は翔が演じるという形で解決をしていた。その折り合いのつけ方が「妥協」という感じがせず、子どもなりの知恵による「創造」として感じられたところが良かった。子どもという存在に対する信頼を感じさせる展開だった。

そして、個人的に強く印象に残ったのは、台風が近づく中で、大河、翔、悠生と大河の二人の父親がトランプをしようと口々にやりたいゲームを言う場面。それぞれの言葉が重なり合ってグダグダにさえ思えたこの場面のように、無防備に無邪気に自分の欲求を伝えられることが「家族であること」を象徴しているようだった。それは、台風の夜という非日常が生んだ「小さな奇跡」のような愛おしさだった。

物語の主人公と同様に、客席には小学生くらいの子ども達の姿も目立った。彼らがどんな感想を持ったのか知りたいと思った。

アフタートーク
『アイタクテとナリタクテ』の後、劇団フライングステージの関根信一さんと文化人類学者の砂川秀樹さんとのアフタートークがあった。砂川さんがご自身の幼い頃を重ね合わせて観たと語っていたこと、新宿二丁目の変化について語る中で関根さんが「直接会うこと」の重要性を問うていたことが印象的だった。LGBTQを取り巻く社会の変化について触れつつ、お二人の眼差しが「LGBTQ」という言葉の奥に存在する具体的な個人やその個人的な体験に向けられていることを感じた。日本のセクシャルマイノリティ史が語られる時に名前に挙がるであろうお二人が、この30年を振り返りながら、大文字の非人称化された「歴史」でなはく、当事者としての一人称的な観点で、個人的な感慨とともに穏やかに話していた姿が、短いアフタートークでの対談を補う余韻になっていた。

『お茶と同情』
ゲイだとカミングアウトしている男子大学生の大地が母校に教育実習生としてやってくる物語は、彼の生徒へのカミングアウトをめぐる物語であると同時に、その彼を通して恋人を亡くした国語教師の謙吾が過去と向き合い、自分と向き合い、未来を生きていく物語でもあった。物語の終盤、夏目漱石の『こころ』の「私」と「先生」の関係が、教育実習生の大地と国語教師の謙吾の関係に重なる展開は、2008年初演・2016年再演の『新・こころ』に重なった。若い世代に向き合うことは、先を行く世代にとって自分の「残された未来」に直面することなのだと思った。

物語は教育実習生の大地と国語教師の謙吾を軸に展開しつつも、高校生の翔太、副校長、養護教諭養護教諭の友人でレズビアンカップルで霊感のある保護者の存在が折り合わさって、「群像劇」のようでもあった。また、大地の生徒へのカミングアウトをめぐる職員会議場面で、同性愛への偏見や差別感情を露にする教師さえも含めて一人一人の輪郭が一瞬にしてはっきりと立ち上がるのは、たとえセリフや登場場面は少なくとも一人一人を名前と顔、それぞれの歴史を持った人物として平等に詳細に描いているからなのだろうと思った(その意味では、体育科教師の水谷先生の存在感が抜群だった)。『アイタクテとナリタクテ』の学級会の場面も同様に、大勢での対話の場面(わちゃわちゃする感じも含めて)が物語のひとつの見せ場のように感じられるのは、劇団フライングステージの作品の魅力の一つだと改めて思った。

物語のハイライトは、全校集会で大地が「ホモ」という生徒からの野次に毅然と向き合い、自分が「ゲイ」であるとカミングアウトとする場面。同性愛者を侮蔑する「ホモ」という言葉を退け、自分達で選んだ「ゲイ」という言葉で、自分を証すことの意味と経緯を真っすぐに前を見て告げる姿は、自分が何者であるかを知り、自分を肯定する強さと美しさに貫かれていた。この瞬間、観客席にいる自分もまた全校集会に参加する生徒の一人となって、自分自身を問われているような気がした。そしてそのような感覚は、役者と観客が同じ空間にともに替えの利かない身体をもって存在しているからこそなのだと思った。劇場に足を運ぶという意味を実感した瞬間だった。

物語の最後は打ち上げ花火を観に行く場面だった。他のお芝居(2013年上演の『OUR TOWN わが町 新宿二丁目』)でもそうであったように、劇団フライングステージのお芝居では、打ち上げ花火は死者を悼むことを象徴しているのだと思う。その最後の場面で若い世代から差し出された手を、先を行く世代が喪失の体験を背負いながらも、少しの戸惑いの後に、まっすぐに受け止めた瞬間がとても美しかった。

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「月刊フラカンFEVER 2021 vo.6」フラワーカンパニーズ/友部正人(2021/06/01 新代田LIVE HOUSE FEVER)

フラワーカンパニーズのライブシリーズ「月刊フラカンFEVER」の配信ライブを観た。フラカンと友部さんという、とても嬉しい共演を観ることができた。このライブの少し前に友部さんのブログで数日入院したことが綴られていたので少し心配だったけれど、フラカンのメンバーの拍手に迎えられてステージに登場した友部さんはとても元気そうだった。静かなのに芯のある存在感だったた。「71歳とは思えない若々しさ」ではなく「71歳のみずみずしさ」という言葉を思い浮かべた。そして、友部さんのライブにまつわるいくつかの記憶がみずみずしく思い起こされながら、ライブを味わった。
フラカンと友部さんのセッションのセットリストは以下の通り。

フラワーカンパニーズ×友部正人セットリスト(2021/06/01)
愛について(友部正人
一本道(友部正人
誰も僕の絵を描けないだろう(友部正人
どこへいこうかな(フラワーカンパニーズ
サン・テグジュペリはもういない(友部正人詞・鈴木圭介曲)
虹の雨あがり(フラワーカンパニーズ
人間をはるか遠く離れて(鈴木圭介詞・友部正人曲)

私が圭介さん、友部さんともに初めて生でその歌声を聞いたのは、友部さんの「言葉の森で」というシリーズライブに圭介さんがゲストとして出演した、2007年1月吉祥寺スターパインズカフェのライブだった。ライブ後に振り返ったらライブを観に来ていたマエさんと竹安さんが二人並んで感激した様子で立っていたことや、圭介さんの詩集にサインをもらった時に日付を間違って書かれて「ごめんね」と謝られたこと――そんな一つ一つの瞬間も含めて、14年前のライブはとても印象に残っている。

同じように、久しぶりに共演する圭介さんと友部さんもかつての共演の記憶を手繰り寄せながら、歌っていいるようだった。友部さんが圭介さんにプレゼントしたニューヨークで買ったハーモニカホルダーは遠藤賢司に「5つ買ってきて」と頼まれていたことや、友部さんの函館のライブには毎回「サン・テグジュペリはもういない」(友部さん作詞、圭介さん作曲)だけを聞きにくる家族がいること。二人の会話でさりげなく語られる「人」の存在が、印象的だった。

セッションの1曲目は圭介さんがリクエストした友部さんの「愛について」。聞きたいと思っていたけれど、まさか1曲目で聞けるとは思っていなかったのでとても感激した。そして友部さんのライブで、その曲の存在を全く知らないで初めて「愛について」を聞いたときのことを思い出した。

それは、2009年6月19日の渋谷アピアでのライブだった。初めて聞いた曲のその途中で「こんな曲があるんだ…」と言葉にならない衝撃を受けたのは、後にも先にも友部さんの「愛について」だけだと思う。そして、この14年前のライブではもう1つ忘れがたいことがあった。当日開演ぎりぎりで会場に着いたら席は全て埋まっていて、一番後ろの壁際に立ったら、そばの丸椅子に座っていた痩せた男性が「どうぞ」と席を譲ってくれた。その譲ってくれた人は遠藤ミチロウだった――。

フラカンのメンバーも加わってからの曲では「どこへいこうかな」が良かった。友部さんが「圭介んくんの歌はキイが高い」と以前言っていた通り、友部さんの曲で聞かないような高音を歌う友部さんも、フラカンのメンバーもとても楽しそうだった。
そして、ライブ中、「時折り」よりもずっとずっと多く友部さんを見つめる圭介さんの眼差しがとても印象的だった。「尊敬」というより「私淑」という言葉の方がしっくりくるようなそんな眼差しだった。

フラカンも友部さんも、ライブを観るのは久しぶりだった。そして、今度はライブハウスで観たいと思った。ライブハウスで観ることは知らず知らずのうちに、忘れがたい「記憶」を手にしているのだと改めて気付いたから。それはちょうど、ライブ翌日の友部さんの日記には書いてあったこの言葉に通じているように思う。 

誰と一緒にやっても別れがたい気持ちになるのはライブの基本が常に生身だからこそ。

ライブという表現形態をこれからも大切にしたいです。
(「友部正人より2021」【6月1日(火)「月刊フラカン」】)

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