THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary DOME TOUR(2019/12/28 ナゴヤドーム)

ザ・イエローモンキーが、現在のバンドメンバーで初めてライブをした日が、1989年12月28日。それから30年の時が流れ、バンドの30歳の誕生日でもありバンドのキャリア史上最大規模となるドームツアーの初日となったライブは、序盤、中盤、終盤と進むなかで、ライブの印象がどんどん変わっていった。ライブを通してこんなに印象が変わるライブは珍しいと思った。

その珍しさは、このバンドにとってはもはやドームでライブをすることがゴールなのではなく、ドームでどんなライブをするかという次の階段にこのバンドが足をかけていることを示唆しているようだった。「30年」という時間の重みに足を取られることなく、むしろ軽やかにさりげなく「挑戦」を試みているような、そんなライブだった。

ライブは‟SECOND CRY”で幕を開けた。ふと、この会場に少なくないであろう最近ファンになって今日が初めてのライブだという人を思い浮かべ、心の中で「驚かせて、ごめんなさいね。こういうバンドなの。でも、この曲にちょっとでも惹かれるものを感じたら、このバンドはあなたを絶対裏切らないと思う。心配したことは何度もあったけど、裏切られたことは一度もなかったから」と呟いた。その言葉がまさに私とイエローモンキーの歴史なのだと思った。
と同時に、その曲をメインステージにいるメンバー3人を背にして、アリーナ中央のセンターステージで一人歌う吉井和哉の姿は、なんだか少し寂げだった。堂々たる歌唱の一方でそんなことを感じることが不思議だった。けれど、その不思議な違和感は、大型スクリーンに映し出される吉井和哉の表情からも感じられた。ライブ序盤の吉井和哉の表情はどこか硬く、疲れている感じさえした。

その印象がガラっと変わったのは、‟球根”を歌い上げた後、センターステージに移動し、初期の‟This Is For You” ‟Foxy Blue Love” ”SLEEPLESS IMAGINATION"を続けて演奏したあたりからだった。吉井和哉の表情も動きも、みるみる明るく弾けてくるのを感じた。
特に印象的だったのは、結成当初はバンドへの加入を渋っていたエマがツアーで訪れた名古屋の民宿でバンドメンバーとなる返事をしてくれた、という思い出を語った後の"This Is For You”。エマが初めてイエローモンキーで作曲したこの曲の終わり、エマが吉井和哉のそばに歩み寄ってアイコンタクトを取ろうとしたけれど、吉井和哉はその気配に気づきつつ少し頬を緩ませながらも結局エマと目を合わせなかった。その姿が、まさにまさに「THE 吉井和哉」という感じでとても印象的だった。何万人もの聴衆の愛情を一身に浴びるロックスターであると同時に、自分に差し向けられた素朴な愛情に照れる不器用なその姿に、「どうかずっとそのままでいてほしい」とさえ思った。

そしてセンターステージで、初期のグラムロック色の濃い曲から、最新アルバムの‟I don't know”、代表曲の‟BURN” ‟LOVE LOVE SHOW” ‟JAM”が立て続けに演奏されたセットリストは、ドームのスケール観にバンドを合わせるのではなく、むしろバンドのライブの在り方にドームをアジャストさせようとする挑戦を感じた。そして、その挑戦は、ドームの大観衆を、ライブハウスのような小さなセンターステージの演奏だけで魅了できるというバンドの力量と、新たなドームライブの可能性を示していた。

センターステージからメインステージに戻るインターミッションでは、ステージ左右のスクリーンに結成したこの30年間のライブ歴が映し出されるとともに、バンド結成間もない頃のデモテープの未発表曲が流れた。そのテープのインデックスには、手押しスタンプによる曲名とメンバー名の他に、「STRANGE BOYZ FROM JAPAN」とあった。直訳すると「日本からやってきた奇妙な少年達」――欧米へのコンプレックスと憧れの両方を抱えたジャパニーズ・ロックンロールという、バンドの自意識と美意識が結成当初から変わらぬものであることが垣間見えるようだった。そして、それから30年を経て、その奇妙な少年達は、押しも押されぬロックスターになった。

ライブ本編の終盤、「お父さーん」と叫んだ後で歌い出された‟Father”。この曲を初めてライブで聞いた。さまざまな景色を映す飛行機か列車の窓を背景に<気絶するほど遠くまできた><今僕は奇跡のかけらの指輪を探してる>と歌う吉井和哉の姿だけでもう十分だと思った。亡き父を想って歌う吉井和哉は、他のどの曲を歌う時にも見せない、満たされた表情を浮かべていた。

そして、この曲に続いてライブ本編の最後に歌われた‟シルクスカーフに帽子のマダム”が、この日のライブの白眉だった。ザ・イエローモンキーを貫いてきた自意識と美意識をまさに1曲で証明するような、そんな曲であり演奏だった。バンド名の由来を身近にあった戦争の記憶とともに語り、自分の中にいる「浮かばれない女性」のために歌っていると語った後に歌われたこの曲は、‟SECOND CRY”から始まった今日のライブが、いくつものハイライトを経ての1曲に収斂していくかのような、説得力を持っていた。ドームのライブ本編ラストをこの曲で飾るということそれ自体が、このバンドの30年の歩みとは「イエローモンキーがイエローモンキーを裏切らなかった」ということだったと証明しているように思えた。

いいライブだった――と思う。けれど、このライブを「いいライブだった」で締め括ってしまうと、この後の大阪ドーム、東京ドームのライブで何も言えなくなってしまうような、そんな予感もある。だからこう言おうと思う。私の大好きなイエローモンキーのライブだった。 

 

 付記:ライブのどこで演奏されるか楽しみだった‟DAN DAN”はライブ後半の幕開けに。本物のチンドン屋さんが花道とステージを練り歩いてからの演奏は、イエローモンキーにとても似合っていた。チンドン屋さんの派手でにぎやかな外見と裏腹のどこか物悲しくて切ない音楽という組み合わせは、「イエローモンキー的」だと感じた。チンドン屋さんのちょんまげに着物の男性の姿に、ふと、大衆演劇の役者だった吉井和哉の父親のことを思った。

THE YELOOW MONKEY セットリスト(2019/12/28)
SECOND CRY
ROCK STAR
SPARK
Ballon Ballon
A HENな飴玉
追憶のマーメイド
球根
This Is For You
LOVERS ON BACK STREET
Foxy Blue Love
SLEEPLESS IMAGINATION
I don't know
BURN
LOVE LOVE SHOW
JAM
DAN DAN
パンチドランカー
天道虫
I
SUCK OF LIFE
Horizon
Father
シルクスカーフに帽子のマダム

 

ーencoreー
おそそブギウギ
アバンギャルドで行こうよ
バラ色の日々
ALRIGHT
悲しきASIAN BOY

THE YELLOW MONKEY 「DANDAN」

ザ・イエローモンキーには12月がよく似合う。
現在のメンバーになって初めてのライブが12月28日だったという「縁」もあるように、このバンドには、過ぎ去っていくことの感傷と新たに迎えることの希望が交錯する季節がとてもよく似合う。賑やかな風景の裏にある切なさと、それを大切に抱えつつも次なる場所へと進む姿は、まさにこのバンドの歩み方を思い起こさせる。
結成30周年を記念した新曲「DANDAN」を初めて聞いたとき、まさにそんな季節の風景が、その温度や空気の匂いまで感じられるようで、「まさに、ザ・イエローモンキーの」新曲だと思った。

ブラスが華やかさを添えるイントロで「どこかで聞いたような・・・」と思わせつつも、「あぁ、イエローモンキー!」と感じられる軽快・軽妙なメロディ、「周年セール」「離岸流」などおそらく日本語のロックンロールで初めて歌われるであろう言葉を巧みに散りばめた歌詞――そこはかとない懐かしさと確かな余裕を感じさせるこの曲は、「30年目の新人」のようなみずみずしさと軽みを湛えていて、何度も何度も繰り返し聞いている。特に、冬の晴れた日の朝の空気に、この曲はよくなじむ。
そして、曲の終わり、吉井和哉はこんなふうに歌う。

どんな夢も叶えるあなたに会えたよ
どんな痛みにも耐えるあなたに会えたよ

もしこの2行の順番が入れ替わっていたら、曲の印象はだいぶ変わるような気がする。だからこそ、やはり「どんな痛みにも耐えるあなた」を曲の最後に歌うところに、吉井和哉から吉井和哉自身への、バンドメンバーへの、そしてファンへの信頼と感謝を感じる。

そして、「DANDAN」というタイトル。このタイトルが象徴するように、イエローモンキーの30年の歩みとは、魔法の絨毯やジェットコースターに乗って運ばれることではなく、「正しかった出会い」と「間違った出会い」をくり返しながら、長い階段を一歩ずつ登ることだったのだと思う。長い階段の途中で、振り返った時に見下ろした景色に感じる愛おしさのような感情もまた、この曲の通底音になっている。

バンドが30歳となる12月28日を皮切りに、バンドのキャリア史上最大規模となる東名阪ドームツアーが始まる。イエローモンキーはまた一つ階段を登ろうとしている。そのライブのセットリストにこの曲がどう組み込まれるのかが楽しみだ。冒頭でも、終盤でも、アンコールでも、ライブのどこで歌われても、この曲は映えるだろう。

ドームツアーの4公演、全て見届けようと思う。 

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劇団フライングステージ第45回公演『アイタクテとナリタクテ 子どもと大人のフライングステージ』(2019/11/2 下北沢OFF・OFFシアター)

1992年の旗揚げ以来、劇団フライングステージのお芝居の中で最も幼い主人公、小学生達の物語。お得意のメタシアターの手法で描きだされた物語は、可愛らしくも、「愛とは」「家族とは」そして「自分とは」――というこれまでの作品群に通低する一貫した問いを投げかけていた。「ゲイの劇団」である劇団フライングステージのお芝居が、セクシャリティによって限定されない普遍性を持つのは、それらを問いかける「問う力の強さ」ゆえなのだろうと思う。

 

1.20年後の子ども
主人公は小学6年生の3人。学芸会で上演する『人魚姫』でお姫様になりたい男の子(翔)と王子様に会いたい男の子(悠生)、そして「お父さん」が二人いる男の子(大河)。そして彼らを取り巻く大人達――これらが現実世界と乖離しない設定となり得るところに、2019年の日本の現実が反映されていた。

LGBTのG、男の人が好きなわけ?」などと覚えたての知識で会話する小学生の彼らの屈託のなさが、長きにわたるセクシャルマイノリティへの差別・偏見との闘いを経てのものでもあることを思うと、「理想」が現実になるということは、日常の風景として実現するのだということを改めて感じた。そして、そんな歴史など知らない子ども達の姿が、そのことをより一層強調しているように感じた。
そして、主人公の一人大河の父親「高橋大地」という名前をどこかで聞いたことがあるような・・・と感じたおぼろげな記憶の予感は、物語後半の台風の夜の場面で点が線になって繋がった。2006年に上演された、1979年10月を描いた『ムーンリバー』の主人公「高橋大地」が、今回の主人公の一人大河の父親なのだと。

ムーンリバー』のラジオで偶然耳にした「ゲイ」という言葉に動揺する中学生と、『アイタクテとナリタクテ』で学校の性教育としてLGBTを学ぶ小学生という対比は、この20年間におけるセクシャルマイノリティに対する社会の認識やLGBTに関る状況の変化を如実に示していた。それはまた、小学生の3人を演じる俳優陣の時に演技からはみ出している印象さえ与えるあどけなさと、彼らを取り巻く大人達を演じる俳優陣の安定感のある演技との対比にも重なって、印象的だった。

 

2.子どもと台風
主人公の大河は、台風の夜が「大好きなんだ」と言い、水があふれる河を「いい眺めだよ」と言う。台風が接近すると胸躍るのは子どもの特権なのかもしれない。と同時に、風が吹き荒れ、泥水が渦を巻いて溢れ出す光景は、性に目覚め始めた幼い子どもの中に渦巻く欲望とそれに伴う混乱の暗喩のようでもあった。

劇中、度々繰り返される「わかんない」という言葉。「わかんない」という時にこそ大きな声を出す小学生の彼らの姿には、自分の中にある発見されつつある欲望に気づき始めた戸惑いや焦りが表れていた。
そして、一連の台風の夜の場面は、台風の夜一緒にトランプをする人のことを、台風の夜に濁流に足を滑らせた自分を捕まえてくれる人を「家族」と名付ければいいのだと、こんがらがった問いに明快な答えを告げているようでもあった。


3.子どもの政治
学芸会で『人魚姫』を上演することになり、その人魚姫役に「男の子」の翔が立候補したことから動き出した物語は、6年2組の子ども達なりの、アンデルセンの原作ともディズニーの『リトル・プリンセス』とも異なる結末を迎えた。その絶妙な落としどころが、原作の人魚姫のように自分の姿を変えずとも大切な物を失わずとも、自分の姿のままで自分の大切な存在を抱きしめられるというハッピーエンドの可能性を示していた。これがおそらく、6年2組版『人魚姫』を通してこの物語が伝えようとした重要なメッセージの一つだったのだろう。

また、6年2組版『人魚姫』の結末は、子ども達なりの思案による「子どもの政治」の結果でもあったことが興味深かった。だからこそ、一つだけ欲を言えば、翔に対抗して人魚姫役に立候補してその役を得た同じクラスの陽菜が、翔に(地上に行ってからの)人魚姫を「やりなよ」と言い出した理由が知りたかった。「(翔の人魚姫を)私が見たいの」という陽菜の強引な主張は、不登校になった翔への思いやりのようでいて、翔の悠生への恋心を誤解したゆえのおせっかいのようでいて、腐女子の欲望をほのめかしているようでもあった。

いずれによせ、自分の欲望に気づき、認めたその先にある、分かり合えない(かもしれない)他者との折り合いの付け方という、「政治」の練習試合としての学芸会の過程をもう少し見てみたかった気がした。陽菜役が近年の劇団フライングステージのお芝居に欠かせない存在感を放っている木村佐都美さんだからこそ、そう思ったというのもある。


4.変わる子ども/変わらない子ども
台風の夜の場面での大河の父親である高橋大地の告白は、この物語が作・演出(そして校長先生役)の関根信一さんのライフヒストリーと交差するものであることを示唆していた。いじめられっこだった中学生から大人になり役者となった高橋大地はこう語る――「違う人間になろうとしても、どんどん自分になるんだよ。俳優ってそういうものなんだ」。
今回の物語の主人公達は皆、1年後いや半年後にはもう体も心も、この物語の彼らではなくなっているだろう。「成長」という名前の物語が彼らを呑み込んでいくだろう。そのような「変わる存在としての子ども」を描きつつ、いつまでも変わらない存在として「心の奥に留まり続ける子ども」もまたいるのだといういうこと。そしてそれが、この台詞の「どんどん自分になる」時の「自分」なのかもしれないと思った。演じることは違う人間になることを通して自分になるということならば、成長するということは大人になることを通して「子どもの自分」に再会するこのなのかもしれない、と思った。

だから、小学生を主人公にしたこの物語の副題は、「子どものためのフライングステージ」ではなく、「子どもと大人のフライングステージ」だったのだろう。

 

付記
久しぶりに来た下北沢の駅前はすっかり変わっていた。けれど、OFF・OFFシアターの階段は以前と同じだった。終演後にその階段を下りるとき、ふと、もう何年も前に羽矢瀬智之さんが終演後に階段の踊り場に立っていた姿を思い出した。もうその場所にはいないのだけれど、でもやっぱりその場所にいるような、そんな気がした。

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『ロケットマン』

エルトン・ジョンの自伝的半生を描いた映画『ロケットマン』を観た。エルトン・ジョンの名曲の数々をミュージカル仕立てで織り込んだ華やかさとは裏腹に、見終わった後に何とも言えない切なさと静かな強さが心に芽生えてくるような、そんな映画だった。

1.「ステージから降りる」という物語

モチーフや時代背景、監督といった共通点により、QUEENを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』と比較する声が多いのは当然の成り行きかもしれない。私にとってはそれぞれの映画の冒頭の場面の違いが鮮烈だった。

それぞれの映画の冒頭、フレディ・マーキュリーはライブエイドのステージに向かい、エルトン・ジョンは依存症者の自助グループのミーティングに向かう。何万人もの聴衆が待つスタジアムのステージへの階段を軽やかに駆け上がるフレディ・マーキュリーと、ほんの10数名が待つ薄暗い部屋に続く廊下を渇望と焦燥の塊のようになって歩くにエルトン・ジョン。この対比が象徴するように、『ボヘミアンラプソディ』がロックスターが「ステージに上がる」ことをクライマックスとした物語なのだとすれば、『ロケットマン』はむしろロックスターが自らの意志で「ステージから降りる」ことをクライマックスにした物語だった。

ロックスターにとってステージを降り「自分の問題」に向き合うことが実は、ステージ上で何万人もの聴衆を湧かせることよりも困難であったというこの物語は、機能不全家族で育つ子どもの傷の深さと依存症からの回復の過酷さを示していた。それは同時に、ショービジネスの世界でスターダムを駆け上がることのリスクを映し出してもいた。そして、だからこそ、ロックスターは悲しく、美しいのだということも。

 

2.感情の麻痺

この映画を「依存症」に焦点を当てて観るならば、その回復における重要なポイントが丁寧に描かれていることに気づかされる。機能不全家族の子どもであり、依存症当事者のエルトンジョンが制作総指揮でなければ描けなかったであろうと思える場面がいくつもあった。そして、そのことに関連して印象深かったのはエルトン・ジョンがステージに向かう場面だった。

例えば、初めてのアメリカ「トルバドール」でのショーの直前、緊張でトイレに閉じこもっていたものの意を決してステージに向かう場面。ド派手な衣装に身を包み虚ろな表情でドラッグを吸引した後、ステージに踊り出ていく場面。ドジャースタジアム公演で、心身ともに瀕死の状態ながら小道具のバットを手にした瞬間、スイッチが入ったように表情を変え堂々とステージに登場する場面――いずれの場面でも、ステージに立ったエルトン・ジョンは直前までのネガティブな感情を一切見せず、水を得た魚のように、まさに「翼の生えたブーツ」を履いたように飛び跳ねていた。

けれど同時に、バックステージからステージに向かう過程を描いたこれらの場面は、エルトン・ジョンにとってステージに上がることは「感情を麻痺」させることだったことを示唆していた。アルコール、コカイン、セックス、買い物・・・そこで得ているのは快楽ではなく「感情の麻痺」なのだという、依存症の専門書に書いてある通りのことが、強く思い出された。同時に、エルトン・ジョンをロックスターにしたのは、その音楽的才能だけでなく、親との関係において幼い頃から自分の感情を押し殺すことに慣れていたことでもあったのかもしれないと思った。だから、エルトン・ジョンの目を見張るような奇抜なメガネや衣装は、エンターテイメントのサービス精神であると同時に、自分からも他者からも自分の感情を隠す仮面であり鎧であるように思えた。

映画冒頭の自助グループのミーティングでの自己紹介の中で、エルトン・ジョンは数々の依存症を挙げた後で、「癇癪持ち(anger managemnt)」と付け加えていた。彼にとって感情とは、「麻痺させる」か「爆発させるか」の二者択一しかなかったのだということを、依存症とは感情の問題でもあることを、伝えていた。

物語の終盤で、更正施設を訪ねてきた盟友のバーニーからまだピアノを弾かないのかと尋ねられ、「無能であること」ではなく「感情が戻ってくること」の恐怖が指摘される場面は、依存症の回復は依存対象を断つことであると同時に自分の感情を認め、受け入れることだと伝えていた。だから、自助グループでのミーティングの場面で、エルトン・ジョンは終始涙ぐんでいた。自分の心の深いところから湧き上がってくる悲しみを味わうように泣いていた。そしてその涙が次第に穏やかな涙へと変化していることが印象的だった。

 

3.「毒になる親」への答え

押しも押されぬ大スター、億万長者となった後でも、エルトン・ジョンは親の前では子どもの頃と同様に強張った表情をしていた。決して彼のニーズに応えることのない親への怒りが失望そして悲しみへと変化するその姿は、それらの感情が親の前では押し殺されているがゆえに余計に胸を締め付けられるものだった。特に、公衆電話から母親に自分が同性愛者であることをカミングアウトする場面の、今にも泣き出しそうな、怯えたような表情は、エルトン・ジョンにとって親という存在がいかに「恐ろしい何か」であったことを伝えていた。「なぜ自分は親から愛されないのか」という問いが、彼の人生の根源にある悲しみであり、苦しみであったことが痛いほど伝わってきた。この場面のタロン・エジャトンの演技は、「迫真」という言葉、あるいは「演技」という言葉すら超えた何かを感じさせるものだった。

映画の終盤、自助グループでのミーティングにおいて、エルトン・ジョンは彼の人生の「重要な他者」一人ずつと対話する。祖母、母親、父親、継父、真の愛情では結ばれなかったマネージャーのジョン、作詞家で生涯の盟友バーニーそして、幼き日の自分(本名のレジー・ドワイト)。

この場面で、家にピアノを置いていたこと、母親の趣味ゆえにエルビスプレスリーを教えリーゼントを許したこと、無関心ゆえに我が子が音楽の道に進むことに干渉しなかったことーーこれら以外には、「毒になる親」でしかなかった両親を前にして、大人になったエルトン・ジョンが幼き日の自分(本名のレジー・ドワイト)を抱きしめた瞬間が、この映画のハイライトであり、そして「なぜ自分は親から愛されないのか」という問いに対する答えなのだと思った。 

「父親にハグしてほしい」というささやかであるけれど決して叶うことのなかった幼き日のエルトン・ジョンの願いを叶えたのは、親でも恋人でも盟友でもなく、大人になった彼自身だったということ。幼き日の自分を抱きしめるエルトン・ジョンと、大人になった自分に抱きしめられる少年レジー・ドワイト。その二人の姿は、こう伝えているようだった。

心の底から変わってほしいと願ったけれど、自分の親は変えられない。けれど、自分は変わることができる。
喉から手が出るほどほしいと願ったけれど、自分の親からはもらえない。けれど、大人になった自分が与えることができる。

このことは、エルトン・ジョンの人生の中で数少ない、彼への変わらぬ「愛情」を保ち続けたバーニーが、更正施設での面会の別れ際に「自分で立ち直れ」とエルトン・ジョンに言い残して立ち去る姿と符号するように思えた。

 

4.ロックスターのイノセンス

エルトンジョンの名曲で華やかに彩られたミュージカルシーンも、稀代のエンターテイナーぶりを見せ付ける圧巻のライブシーンも素晴らしかった。けれど、それらと並んで、あるいはそれ以上に、若き日のエルトンとバーニーが互いの歌詞とメロディを交わし、「あの名曲」が誕生する瞬間の美しさが印象的だった。

夢が叶う瞬間、奇跡が起きる瞬間というのは、実はとてもさりげない控えめな表情でやってくるのかもしれないということ。

そして、この映画の中で私の一番お気に入りの場面は、初めてのアメリカに着いたエルトン・ジョンとバーニーが、車の中から「タワーレコード」の看板を見てキョロキョロする場面だ。うまく言えないけれど、そういうイノセンスと地続きだからこそ、どんなに大きなステージに立っても、どんなに派手な衣装を着ても、ロックスターは遠くならず、いつも私達のそばにいるのだと思う。だから、エルトン・ジョンの歌はいつも聴衆にこう語りかけているのだろう――「これは君の歌だ(this is your song)」、と。

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https://rocketman.jp/

THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2019-GRATEFUL SPOONFUL-(2019/7/7 さいたまスーパーアリーナ)

 “天道虫”で派手に幕を開けたライブだった。テーマの異なる4種類のセットリストのうち、今回は「ハート」のセットリストだった。タイトルに「LOVE」とある曲が多く歌われたけれど、そういう歌ほど、セックスと真正面から向き合う反面、愛と真正面から向き合うことに葛藤していて、「吉井和哉にとっての愛」の妙を感じた。

6月に横浜アリーナで観た「ダイヤ」のセットリストのライブと比べて、曲が変わるだけでなく、同じ曲であっても曲順が違うことで曲の印象が大きく変わることが新鮮だった。特に「ダイヤ」で1曲目だった“この恋のかけら”がライブの最後に歌われることで、曲が訴えかけてくるものが「問い」である以上に「答え」であるようなそんな気がした。「答えがない」ということを引き受けるという決意という意味での「答え」とでもいうような。だから、今のイエローモンキーは「安心」して観ていられる。

2曲目“ARLIGHT”の<何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ>という歌詞がまさにそうであったように、恋人同士の歌であると同時に、バンドのことを歌っていると思える歌がいくつもあった。だからなのか、アリーナクラスにライブの演出の一翼を担うステージ上方と左右の大型スクリーンに、吉井和哉だけでなくエマ、ヒーセ、アニーが映し出される度に何ともいえない安心感・安定感のようなものが伝わってきた。3人の存在感がツアーごと、ライブごとに増してより一層「バンド」になっていることがイエローモンキー再集結の意味であり成果なのだと思った。

今回のライブは2階席最前列で、座席番号が「99」だった。ステージを真正面に見るその席からは、視界が何にも遮られずにステージだけでなくアリーナ席全体も観ることができた。特に、ライブの開始で流れる<砂漠にガソリン撒き散らし・・・>の歌が始まるとともに、真っ暗に暗転したアリーナ席の只中に音響や舞台演出のブースが、何台も並ぶディスプレイの灯りとともに浮かび上がった瞬間の、その光景がとても印象的だった。それは宇宙船のコックピットのようでもあり、有人飛行の宇宙船を打ち上げる地上管制塔のようでもあった。そして、その中にいる20人弱の人影の微動だにしない姿は、目の前に繰り広げられる「ショー」がもはや「失敗できないもの」の域にあるのだということを感じさせるものだった。
その一方で、吉井和哉がライブ中盤で語ったMCがとても印象的だった――「昨日ライブを観に来た、(今はもうバンドをしていない)かつてのバンドをしていた友人が、僕らのライブを見て『もう一度バンドがしたくなった』と言ってくれたことが、そんな感想がとても嬉しかったです」。このMCが象徴するように、どんなにスケールが大きくなろうとも、むしろスケールが大きくなればなるほどステージに浮かび上がるのは、生身の「ロックバンド」であることなのかもしれないと思った。後戻りできない時間の流れの中にあって、一分一秒確実に老いていく生身の身体を生きているという「ロックバンド」であることを、最新のハイテクノロジーの舞台演出を通して確認するということ。それは、ちょうど、ロンドンのハイドパークでローリング・ストーンズのライブを見た吉井和哉が2013年7月7日の七夕に、メンバーに「また僕と一緒にバンドをやってくれませんか」とメールを送ったというエピソード*1にも通じていることなのかもしれないと思った。

再集結後のイエローモンキーは「ロックバンドというドラマ」ではなく「ロックバンドという奇跡」を生きている、見せているーーそう思う瞬間がいくつもあるライブだった。本編終盤の“SUCK OF LIFE”で最後に吉井和哉が歌い上げる「LIFE」という言葉の意味の重さを感じずにはいられなかった。そんなライブだった。

ロックバンドが美しいのは、彼らが「不死身の花」ではない、からなのだろう。

THE YELLOW MONKEYセットリスト(2019/7/7)
天道虫
ALRIGHT
Love Communication
Love Homme
楽園
Love Sauce
Stars
パール
Changes Far Away
SO YOUNG
Ballon Ballon
追憶のマーメイド
Titta Titta
LOVE LOVE SHOW
SUCK OF LIFE
I don't know

 

―encore―
Horizon
バラ色の日々
悲しきASIAN BOY
この恋のかけら

*1:このエピソードが若干の「歴史の修正」を伴うものであったことがアンコールの“バラ色の日々”のイントロで暴露されたけれど、ファンがさしてたじろがないという(笑) 。

THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2019-GRATEFUL SPOONFUL-(2019/6/11 横浜アリーナ)

19年ぶりのオリジナルアルバム『9999』と同じく“恋のかけら”で幕を開けたライブは、「30周年」という時の流れを感じさせないというよりも、時の流れを味方につけたバンドだけが醸し出す「円熟」と「新鮮」が同居したライブだった。ロックバンドとして「脂が乗っている」とはこういうことを言うのだろうと思った。

照明やプロジェクションマッピングなど最新の舞台演出のテクノロジーを活かしたライブであったけれど、そうしたテクノロジーの進歩に見合うスケールのライブ(動員、演奏力ともに)をこの2019年にできるということが、イエローモンキーが「選ばれている」と同時に「背負っている」バンドなのだと感じさせた。

ライブ中盤の“Changes Far Away”だったか、吉井和哉は映画『ボヘミアン・ラプソディ』のフレディ・マーキュリーのように腕を振りかざしていた。その瞬間が象徴するように、ライブ中何度も「映画みたいだ」と思う瞬間があった。宝石のように光を反射するステージも、大型スクリーンに映し出されるメンバーの姿も、どの瞬間も映画のワンシーンのようだった。もはやイエローモンキーは存在自体が「映画」で、バンドの演奏以外の演出は不要でさえあるのかもしれないと思った。そう思っても不思議なないくらいその演奏は、歌は、初めてライブで聞く曲も何度もライブで聞いている曲も胸に強く響いてきた。「映画みたいだ」と思うのと同じくらい、何度も涙がこみ上げてきた。

今回のツアーでは、テーマの異なる4種類のセットリストが各ライブにトランプのマークで割り振られていて、この日は「ダイヤ」だった。吉井和哉は「イエローモンキーの中でも宝石のような曲を集めました」と言っていた。その言葉の通り、水面、ガラス、鏡、瞳――といった光を反射してキラキラとした切ない何かを思い浮かべるような曲で構成されたセットリストは、新作『9999』とそれ以外の曲とのバランスが絶妙だった。特に、“天国旅行”から“Changes Far Away”へという死からの再生を彷彿させる流れと、その“Changes Far Away”から間髪入れずに“JAM”へ繋ぐ流れは圧巻だった。『9999』の曲と並ぶことでバンドの代表曲の印象が変わることがとても新鮮だった。と同時に、このことは、『9999』の曲がどれも代表曲に比して遜色のないタフさを秘めていることを感じさせるものだった。

今回のライブでは、吉井和哉のボーカリストとしての存在感と同じくらい、エマ、ヒーセ、アニーの存在感を感じた。「ロックバンド」というものの不思議さを思った。家族のようだけれどどんな人間関係にも喩えられない何かがあり、そこにあるのは友情だとしても友情だけでは続けられない何かがある――その「何か」がロックバンドにしかない美しさや切なさの本質なのかもしれないと思った。そしてその「何か」こそが、吉井和哉が人生を捧げると誓ったものなのだということ。

アッシュがかった茶色の髪とラベンダーのボウタイブラウスの吉井和哉はとても美しかった。そして、とてもいいライブだった。

THE YELLOW MONKEYセットリスト(2019/6/11)
恋のかけら
ロザーナ
熱帯夜
砂の塔
Breaking The Hyde
聖なる海とサンシャイン
Tactics
天国旅行
Changes Far Away
JAM
Ballon Ballon
SPARK
Love Homme
天道虫
バラ色の日々
悲しきASIAN BOY

 

-encore-
Titta Titta
太陽が燃えている
SUCK OF LIFE
I don't know

歴史と交わるということ、あるバンドの「甘美な挫折」に寄せて

永井純一(2019)「第7章 フジロック、洋邦の対峙」書評(『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか』,南田勝也編著,花伝社,pp.210-243)

 

1997年7月26日、2人のオーディエンスの経験

私が初めてザ・イエローモンキーのライブを見たのは、1997年7月26日のフジ・ロック・フェスティバルだった。当時まだこのバンドのファンではなかったけれど、大雨をかろうじてしのいでいたテントに知人2人を残して、雨降り止まぬ「地獄絵図」のような野外のステージに一人で向かったのは、イエローモンキーのライブを見たいと思ったからだった。「“悲しきASIAN BOY”が聞けたらいいな」ぐらいの軽い気持ちだった。私はこの日のライブを見てこのバンドのファンになったわけではなかった。この日のライブはその悪天候ゆえに私にとって「音楽を聞く」とか「ライブを見る」という体験にはなり得なかった。「見た」のではなく、その日、その場所、その瞬間に私は「いた」だけだった。けれど、私はそれで十分満足だった。

1997年のフジロックから数年後に知り合ったイエローモンキーファンの友人も、フジロックでのイエローモンキーのライブを見ていた。見知らぬ外国人のオーディエンスとともに「アメージング!」などと言いながら大いに盛り上がった後、ライブ後に振り返ったら誰も盛り上がっていなかった、と友人は笑いながら話してくれた。私はこの話がとても好きだ。

 

観点(図式)としての歴史

あの日、あの場所、あの瞬間にイエローモンキーのライブを目撃した一人一人の経験の総和が「歴史」になるのではない。歴史は、過去を捉える観点(図式)があって初めて何かを語り出す。というよりも、過去を捉える観点(図式)それ自体が歴史というものなのだろう。永井純一による「第7章 フジロック、洋邦の対峙」は、フジロックでのイエローモンキーの「失敗劇」(p.218)を、「洋楽の壁に挑む邦楽」という観点(図式)から描き出している。

本章で「事故」(p.219)「不運」(p.221)などと形容しているように、フジロックでのイエローモンキーの「失敗劇」は、その原因の99%は悪天候といういかんともしがたい偶然の要因によるものだといえる。けれど、その偶然が歴史の「必然」でもあったことを、「主催者と運営の問題」「バンドとライブ・パフォーマンスの問題」「オーディエンスの問題」(p.219)という主に3つの側面から、当事者達の言葉から複眼的にに展開した論考はとても興味深かった。

中でも、フジロック後の、ロック雑誌誌上やインターネット上でのイエローモンキーに対するバッシングの背後に「洋楽/邦楽」という差違のみならずオーディエンスにおける「男性/女性」というジェンダーバイアスがあったことの指摘は、非常にうなずけるものだった。今にして思えばひどいが、当時としてはそれが洋楽ファンに広く共有された気分であったことの示唆は、1997年におけるバンドとファンの無意識を的確に浮かび上がらせている。個人的な体験ではあるが、大学時代からロック、特に洋楽を聞いていると言うとしばしば「お兄さんの影響?」などと言われたこと、「私にいるのは、音楽の趣味の違う、THE  ALFEE好きの姉なのだけれど・・・」と心の中でつぶやいたことを久しぶりに思い出した。

 

あの日のセットリスト

本章では、フジロックのイエローモンキーの「失敗劇」の要因の一つであるセットリストについて、「10曲中7曲がアルバム曲」(p.224)だったことが指摘されている。イエローモンキーのオリジナリティであり商業的成功の鍵でもある「歌謡ロック」(p.224)的なシングルヒット曲を排した選曲が、オーディエンスに受け入れられなかったという指摘は、ファンでないオーディエンスよりもむしろ、イエローモンキーファンの方が深く頷くところである。けれど、それは本書で引用されている「メンバーとファンだけが共有するストーリーと自意識で着飾らせてしままった」(p.224)という『ロッキング・オン・ジャパン』編集長の山崎洋一郎氏の言葉とは少し異なる意味を帯びていると私は感じている。

フジロックでのイエローモンキーのセットリストは、言い換えれば「ファンとさえストーリーが共有できないような、吉井和哉の屈折した自意識で防衛した」ものだったと思う。あの日の選曲の大半は単にアルバム曲というだけではなく、バンドのブレイク以前の退廃的でコンセプチュアルな曲(男娼を歌った“SUCK OF LIF”、日本兵が少女売春婦を買う“A HENな飴玉”“RED LIGHT”)で、しかもブレイク後のライブでも演奏される機会が少ない古参ファン以外には馴染みの薄い曲だった。また、フジロックの半年前にリリースされ、バンドの評価を洋楽ファンにもアピールするものへと高めた『SICKS』からの演奏された曲も、いずれも詞もメロディも重々しい曲(自己批判的さえある“TVのシンガー”、自死を思わせる“天国旅行”)だった。イエローモンキーを十分に知らない洋楽ファンだけでなく、ロックフェスの大舞台で洋楽勢に挑むイエローモンキーの勇姿を見届けようとしたファンにも背を向けているようなセットリストだった。そんなどっちつかずのセットリストには、吉井和哉の「洋楽の壁」に対する怯えと、それと表裏一体の「歌謡ロックでの成功」における自己卑下が無意識下で反映されていたように感じる。

本章ではフェスにおけるセットリストの重要性に触れた後、「イエローモンキーほどのバンドをもってしても、その選択を誤るほど日本のバンドはフェスに慣れておらず」(p.226)とある。けれど、イエローモンキーファンの実感としては、「(当時の)イエローモンキーだからこそ、吉井和哉だからこそ、選択を誤ったのだ」と思う。けれど、そんな「めんどくさい」バンドであったからこそこのバンドに深く惹きつけられた、という両義性もまたファンにとってはひとつの真実だった。

 

2016年のサマーソニック

フジロックでの「失敗劇」も影響して2004年に解散したイエローモンキーは、2016年に再集結した。そして、その年の8月にサマーソニック2016に出演し、ヘッドライナーとなったレディオヘッドと同じ、最も大きなマリンステージに登場した。このライブを、今度はイエローモンキーのファンとして、私は見た。

そのセットリストは、約20年前のフジロックのセットリストとは対照的に、10曲中8曲がシングル曲でうち7曲は“BURN”や‟バラ色の日々”など解散前のバンド黄金期のヒット曲だった。そしてライブの最後はバンドの代表曲である1996年リリースの“JAM”で締めくくられた。その中でも最も印象深かったのは、誰も予想し得なかった、1曲目の“夜明けのスキャット”だった。1969年に大ヒットし、イエローモンキーが1995年リリースのシングル“嘆くなり我が夜のFantasy”のカップリング曲としてカヴァーしたこの曲が、原曲の由紀さおりとのデュエットで、ほぼ原曲通りのアレンジで演奏された。豪奢な白いドレスを纏った由紀さおりの肩を抱きながら歌う吉井和哉の姿には、かつての、1997年のフジロックにおける「歌謡ロック」に対する葛藤はなかった。「歌謡ロック」どころか「歌謡曲」そのもので、洋楽がヘッドライナーを飾るロックフェスに登場するという確信犯ぶりは、フジロックでぶつかった「洋楽の壁」を乗り越えた姿であると同時に、「洋楽の壁」という呪縛から解放された姿のようにも見えた。「洋楽の壁」を参照枠とせずとも成立し得るバンドのオリジナリティと演奏力に対する自信を手にしたからこそ、イエローモンキーは再集結したのかもしれないと思った。

けれど、本章を読んで、おそらく状況はより重層的であったのだと気づかされた。2016年のサマーソニックのイエローモンキーのライブが体現していた姿には、本章の後半で指摘されている「オーディエンスの成熟」や「演奏志向(サウンド志向)」(pp.234-235)という変化にも多いに関係していたのだと感じた。2016年のサマーソニックのイエローモンキーのライブでは、途切れることなくオーディエンスがマリンステージのアリーナに入り続け、曲に合わせて両手を捧げる観客の波がアリーナの後ろにまで広がっていった。その光景が象徴していたこの日のライブの「成功劇」の背景には、フェスを取り巻く時代的変化にバンドが適応していたことも少なからず関係していたと思う。

さらに言えば、サマーソニックへの出演も含め、再集結後にこれまで以上にスケールアップしているイエローモンキーの活動(東京ドーム公演、ATLANTIC/Warner Music Japanとのタッグによる全世界配信)からは、バンドにとっての「フジロックでの挫折」の意味が変容したようにも感じる。イエローモンキーは、フジロックでの挫折への「復讐(リベンジ)」という物語を手放し、フジロックでの挫折をバンドヒストリーの1コマに消化して新たな物語を「構成」するという選択をしたように感じる。2013年公開のドキュメンタリー映画『パンドラ』で、1998年から1999年にかけての日本全国113本に及ぶ長大な『PUNCH DRUNKERD TOUR』に至る経緯として、フジロックでの無残なバンドの姿を織り込んだのは、バンドがあの挫折を、悪夢を受容したことの現れだったのかもしれないと思う。

 

歴史と交わるということ

「誰も短い一生を思わず、長い歴史の流れを思いはしない。言わば、因果的に結ばれた長い歴史の水平の流れに、どうにか生きねばならぬ短い人の一生は垂直に交わる」(小林秀雄,「歴史」,1960)--1997年の7月26日、あの日、イエローモンキーは、日本の洋楽受容という長い歴史の水平の流れに、垂直に交わり、無残に敗れた。けれど、挑戦のないところに失敗はなく、冒険のないところに挫折はないとするならば、その姿には挑戦し、冒険する者だけが許される美しさもまたあったのだろう。そして、それは、南田勝也が序章で指摘する「甘美」(p.16)とも言い換えられるのかもしれない。

 

付記:Don’t Look Back in Anger

フジロックから10年後の2007年、吉井和哉OASISの“Don’t Look Back in Anger”に、オリジナルの日本語詞をつけてカヴァーした。その中で吉井和哉はこんなふうに歌っている。「1997年の10月はロンドンにいた/ケンジントンで流れたこの歌が大好きさ」――フジロックでの挫折後の「1997年の10月」の吉井和哉の、それから10年後に「1997年」と歌う吉井和哉の心にはどんな風景があったのだろうかと、本章を読んでふと考えた。そして、フジロックでの挫折を「怒りに転嫁(Look Back in Anger)」しなかったことが、それを誰のせいにもしなかったことが、吉井和哉のその後のアーティストとしての歩み、そしてイエローモンキーの再集結への道を拓いたのかもしれないと思った。

 

私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史

私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史

  • 作者: 南田勝也,?橋聡太,大和田俊之,木島由晶,安田昌弘,永井純一,日高良祐,土橋臣吾
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  • 発売日: 2019/03/20
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