b-flower「柊野別れの恋人」

〈賀茂川 春の日〉という静かな歌い出しに続いて、水面や車窓をスクリーンのようにして「終わった恋」の風景が流れていく。
その端正なメロディと言葉は、抑制が効いているがゆえに溢れる思いを、〈そう思ったんだ/思うんだ〉と断定しているがゆえに断ち切れない思いを感じさせて、切ない。曲が進むにつれてシンプルなバンドサウンドが厚みを増すアレンジが、その切なさを高めている。

「川」「桜」「バス」というモチーフから、1996年にリリースされた"明星"を思い出す。
並んで歩くただそれだけで奇跡のよう思える幸せを歌った"明星"とは対照的に、"柊野別れの恋人"で歌われる恋は過去形であるけれど、そこに込められた感情は"明星"と同じくらいにみずみずしい。だからこの曲は、「恋は終わっても、終わらない」と告げている。

〈髪を結んだ君が  扉の向こうへ〉〈雪の残るポストに春風吹けば〉という、身体と自然の描写に接着させて物語を浮かび上がらせる秀逸なフレーズから、〈時は過ぎていくんだ/時は過ぎ去るんだ〉という後戻りできない現実へのブリッジが、この曲のハイライトだと思う。

見送ることの寂しさと美しさ――b-flowerの新曲とともに、春を迎えることの幸せを感じる。

b-flower 配信シングル「柊野別れの恋人」リリース、歌詞公開|b-flower 八野英史

 

映画『みらいのうた』(2025/01/03)

新年でにぎわう池袋の映画館で『みらいのうた』を観た。
イエローモンキーのこれまでのドキュメンタリー映画『パンドラ』(2013年)とも『オトトキ』(2017年)とも、全く違う感触の映画だった。車中の場面が多かったにしても、これだけずっと吉井和哉の横顔を見つめたことは、これだけ生の言葉を聞いたことは、初めてのように感じた。

1.「ロック」という人生
吉井和哉とEROさんという「ロック」を人生として選んだ人達が歩む人生は、複雑で時に残酷な様相を呈していて、「神様」という存在を代入しなければ解けない方程式のようだった。けれど、癌の告知や闘病においてさえも、吉井和哉の表情や口調は、どこか飄々と淡々としていて、吉井和哉の心の強さや覚悟を感じた。と同時に、吉井和哉のお母様の「あの子は気持ちを心にしまい込むから」という言葉もオーバーラップした。

2.心の穴
静岡の海に佇み「寂しかったんでしょうねぇ」という告白から始まったこの映画は、「ロックスターが幼き日の自分(インナーチャイルド)に再会し、抱きしめる」ことがもう1つのテーマにもなっているような、そんな気がした。
父親を亡くした後、父親の役割を担うために母親が厳しくなったという述懐。吉井和哉にとって父を失うことは同時に「母なるもの」を失うことでもあったのだと、その「心の穴」の大きさが「静岡の少年」をロックスターにしたのだということ。

3.ロックスターの「夢」
映画の終盤、吉井和哉が語った夢がとても印象的だった。夢を叶えたロックスターだからこその夢だと思った。もし、彼が武道館や東京ドームを埋めるロックスターになっていなかったならば、この夢は語られただろうかと考えた。
映画を観終わった後、交差点の信号待ちで、ふと“雨雲”の歌詞を思い浮かべた。

夢が叶えば夢にだまされ雨雲広がって
本当の夢を探すことこそ夢だとわかった

4.もう一人の主人公
この映画のもう1人の主人公、EROさんは、そのカッコよさだけでなく、頑固さや不器用さも含めて、吉井和哉にとって「こうであったかもしれないもう一人の自分」なのかもしれないと思った。
映画のエンドロールで映し出される彼の部屋が、映画を通して見慣れているはずなのに、「聖なる場所」のような趣きを発していたのが印象的だった。吉井和哉にとってこの部屋は「聖地」なのだと思った。
そして、EORさんと歩く時の歩調を合わせる吉井和哉の姿に、さりげないけれど深い優しさが滲んでいた。

5.イエローモンキーという「宝物」
イエローモンキーのリハーサルや楽屋の場面で、改めてこのメンバーの偉大さを感じた。特にヒーセ!ヒーセが楽屋に現れるとぱっと空気が明るくなる。リハーサルやライブ後のあの和やかさこそ、このバンドの「宝物」であり、このバンド自体が「宝物」なんだと思った。
また、映画の本筋とは別に、東京ドームの退勤場面という、とても貴重なものを見ることができて、少しどきどきした。

6.「みらいのうた」

タイトルとは裏腹に、この映画では吉井和哉の幼い頃からの「過去」とその風景が多く映しだされていた。ふと、昔読んだ本の一節を思い出した。

老人は思い出に生きるという、だが彼が過去に賭けているのは、彼の余生という未来である。(小林秀雄『私の人生観』)

 

吉井和哉 TOUR2025-2026 ⅣⅣⅠ(2025/12/28 日本武道館)

とてもいいライブだった。

これまでに観て来た12月28日の吉井和哉のライブの中でも、これまでに観てきた全ての吉井和哉のライブの中でも、「五指に入る」ほどのいいライブだった。

声がしゃがれたり、裏返ったりする瞬間が何度かあったけれど、にもかかわらず、というよりだからこそ、その歌は胸の奥深くまで届いてきた。心の深いところから歌っているだけでなく、人生を賭して歌っているような迫力と説得力があった。ロングトーンを抑制しているところもあったけれど、それ以上に力強く歌い切ろうしているように感じた。

ソロとしての吉井和哉ディスコグラフィーからシングル曲を中心に構成されたセットリストによって、過去に観たライブの思い出が蘇ってきた。けれど、どの曲にもノスタルジックな気持ち以上に、今この瞬間に生きて歌っている吉井和哉の覚悟と存在感を感じた。

ライブの前半で続けて歌われた"BEAUTIFUL"と"LOVE&PEACE"が、とても良かった。吉井和哉は祈るように、そして挑むように歌っていた。<プリーズ もうこれ以上 悪い出来事が 君と僕とに起きないように>--。かつての歌が、ドラマの伏線が回収されるように、吉井和哉の人生と交錯して新たな意味を帯びるということについて考えた。

そして、"みらいのうた"。4年前の12月28日、武道館公演のアンコールで初めて披露されたこの曲に込められた意味の「答え合わせ」のように、曲についての思いが語られた。この曲の間、ステージの背景となるスクリーンには、満開の桜、舞い散る花びらと葉桜、そしてまた満開の桜が映し出されていた。この映像のように、吉井和哉の歌は、その歌声は、生きることの豊穣と無常そのものだと思った。

いいライブを観た後、帰りの電車の中で、胸にこみ上げる思いや頭の中を駆け巡る考えを、スマホの「メモ」に打ち込んでいる。今日、「メモ」を開いたら、2年前に何かのアンケートで回答した吉井和哉に宛てたメッセージの下書きが残っていた。読み返してみたら、拙いけれど、今日のライブを観て、吉井和哉に伝えたいことのそのもののような気がした。

ライブで"TALI"を歌う時、間奏で「幸せになるんだぞー」「自分を愛してねー」*1と言ってくれていたことが心に深く残っています。吉井さん自身にも言っていたのかもしれませんが、少しずつその言葉のように生きられるようになりました。感謝しています。

これからも吉井和哉の音楽を、その歌声を聞いていきたいと思った。

吉井和哉セットリスト(2025/12/28 )
Shine and Eternity
VS
TALI
欲望
CALL ME
いすゞ
BEAUTIFUL
LOVE&PEACE
○か×
甘い吐息を震わせて
MUSIC
点描のしくみ
超絶☆ダイナミック!
ビルマニア
みらいのうた
ーencoreー
FLOWER
血潮
FINAL COUNTDOWN

*1:「自分を愛してねー」は、正しくは"FLOWER"の間奏

b-flower『Live at FEVER』

そして美しく春は訪れる(地の果てより発つ)――春の予感が実感へと移り変わるこの季節に、b-flowerのライブアルバムを手にすることの幸せを感じた。

このアルバムに収められた2022年6月18日新代田FEVERのライブについて、当時私はこんなふうに書いていた。

時間の流れの早さに追い越されるように日々を送りながらも、ずっと昔にb-flowerのライブを渋谷のライブハウスで観た記憶があまり色褪せていないことの不思議を思った。そして今日、約3年半ぶりのb-flowerのライブは「懐かしさ」の入り込む余地のない「みずみずしさ」に貫かれていた。b-flowerは2022年のロックバンドだった。

そして、そのライブアルバムもまた、少し驚くほどに、会場の空気感とともにその「みずみずしさ」を少しも欠けることなく封印していた。同時に、少し意外なほどに、b-flowerというバンドはノスタルジーに寄りかからないのだと気付いた。過ぎ去ったいつかの風景を歌っていても、その切なさも虚しさも美しさも……その全てが「現在形」で浮かび上がる。b-flowerのライブはいつもそんなふうに心の襞を揺らしていく。

“日曜日のミツバチ”を聞くたびに思うことがある。曇り空の下の閉塞感を歌っているはずなのに明るい光を受けて疾走しているように感じるのは錯覚ではなく、このバンドの本質であり大きな魅力なのだということ。そのことをこのアルバム全体を通して実感した。そしてそれは、ライブハウスの暗闇の中で発光するバンドのシルエットを強調したスリーブケースの写真にも通じているような気がした。

最新作の『何もかもが駄目になってしまうまで』の収録曲も含む新旧織り交ぜたセットリストは、どこを切り取っても素晴らしかったけれど、ライブ後半で続けて演奏された“ペニーアーケードの年”~“Bye Bye Canary Bird”~“自由になりたい”~“グライダーと長靴”の4曲が、本当に素晴らしい。イノセントに疾走する八野英史のボーカル、躍動感と一体感のあるバンドの演奏、そしてそれらをドライブする細海魚氏のキーボード。その中で殊更に力を込めて歌われた「僕は打ち負けはしないよ」(Bye Bye Canary Bird)というフレーズーーそれは、この繊細で美しい音楽を梃子に世界に対峙し続けるという、この先もこのバンドが闘い続けていくのだという、マニフェストのように聞こえた。

2025年の3月。美しく訪れる春を感じながら、このアルバムを、b-flowerの音楽を、繰り返し繰り返し聞いている――。

seedsrecords.stores.jp

劇団フライングステージ第48回公演『Four Seasons 四季 2022』(2022/11/03 下北沢OFF・OFFシアター)

会場で配布された「ご挨拶」には「劇団フライングステージは1992年11月3日に第1回公演を行いました。」とあった。それからまさに30年後の11月3日に劇団フライングステージのお芝居を観た。

「30年」という「節目」の年の作品となった、ゲイ達が住むアパート「メゾン・ラ・セゾン」を描いた物語では、巡る季節に抗うよりもそれに寄り添い、それを受け入れようとする登場人物達の横顔が印象的だった。そしてこの物語はこれまで以上に率直に「老い」や「死」そして「家族」というものに向き合っていた。

1.登場人物の年齢
会場で配布されたリーフレットの「配役」には、登場人物の名前の後の括弧書きでそれぞれの年齢が記されていた。例えば(51歳高校教師)(52歳「メゾン・ラ・セゾン」の大家)のように。私の記憶では、登場人物の年齢がこんなふうに記されていたことはこれまでなかったと思う。

「年齢なんてただの数字に過ぎない」とは言い切れなくなった「老い」という現実を背負った存在として登場人物を位置付けていることに、この作品のテーマが「老いと死」であるという強いメッセージを感じた。そして、唯一の20代の登場人物の「メゾン・ラ・セゾン」の入居を拒んだところに、主体的に「変化」を生きようとする老いゆく人間の気概を感じた。

2.空の椅子と喪失
劇団フライングステージのお芝居では、いつも舞台の上に空の椅子(エンプティチェア)が並んでいる。劇の冒頭で、倒れた空の椅子を愛おしそうに起こす姿は、この物語が「喪失」の物語であることを告げていた。その椅子に亡くなった主人公・平谷賢の遺骨が置かれる場面は、「死」がとても生々しいものに感じられてドキリとした。物語の終盤で、主宰者の関根さん演じる相庭弘毅が杖をついて歩く姿も同様だった。

そして、長く一緒に暮らしてきたゲイの仲間達が、それぞれの事情を抱えながら自分に正直に生きようとするがゆえに互いにすれ違い「メゾン・ラ・セゾン」を去っていく姿もまた、人生におけるひとつの季節の終わりという「喪失」を描いていた。50代のゲイ達が一緒に「エンディングノート」を書いたり運動したりする中でバラバラになっていく過程は、「ともに老いる」ことの難しさをリアルに描いていた。

3.家族みたいなもの
物語の終盤、「メゾン・ラ・セゾン」の歴史が語られる中で発せられた「かつて家族みたいなものがあった」という台詞がとても印象的だった。「家族みたいなもの」という言葉が含意する「(本物の)家族なるもの」とは何なのか、それはどこにあるのかという問い。「同性パートナーシップ宣誓」によって得られる権利、親族の介護において負わざるを得ない経済的負担、ヘテロセクシャルの独身男性である兄を苛む偏見、父親の病院を息子が継ぐという世襲――物語の中に現れるさまざまな「家族なるもの」の側面は、それが一つの答えに収斂し得ないやっかいなものであることを示していた。

だから、家族になったら解決すると思っていた問題は、家族になったから解決するわけではないのかもしれず、また別の家族であることの問題に置き代わるだけなのかもしれない。同時に、誰もが皆、「家族なるもの」の周りをぐるぐると回って「家族みたいなもの」の断片を手にしているに過ぎないのかもしれない。そんなことを考えた。

物語の最後の場面。たわいもないゲームに興じて笑顔を見せる彼らは、「家族」ではなかったけれど、「家族」と同じかそれ以上の尊い何かを示していた。

4.僕の欲しいもの

会場で配布された「ご挨拶」の中で関根さんはこんなふうに書いていた。

フライングステージの旗揚げ当時、演劇仲間に「ゲイの演劇なんて、差別や偏見がなくなったら、やれなくなっちゃうのに、なんでそんなことするのか」と言われました。差別や偏見をなくすためにやるんじゃないからと反論したことを覚えていますが、30年経った今も差別や偏見はまだ見えないところで存在しています。

この1文を読んで、20年前のインタビュー(※)で関根さんが語った言葉を思い出した。「もしかしたら、僕は単純に『若い頃の僕が欲しかったもの』を今やってるのかもしれないんだけどね」。セクシャルマイノリティを取り巻く社会のありようと切り結びつつ、「自分が欲しいもの」を追い求め続けてきたことがフライングステージの30年であるのだと思う。

※「第11回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」ウェブサイトでのインタビュー。

https://rainbowreeltokyo.com/2002/2002_03/07_fs01.html

https://flyingstage.stage.corich.

Debonaire × b-flower(2022/06/18 新代田FEVER)

井の頭線に乗り換えるために久しぶりに降り立った渋谷駅は、大きく変貌していた。時間の流れの早さに追い越されるように日々を送りながらも、ずっと昔にb-flowerのライブを渋谷のライブハウスで観た記憶があまり色褪せていないことの不思議を思った。そして今日、約3年半ぶりのb-flowerのライブは「懐かしさ」の入り込む余地のない「みずみずしさ」に貫かれていた。b-flowerは2022年のロックバンドだった。

2020年にリリースされた『何もかもがダメになってしまうまで』の2年越しの「レコ発ライブ」でもある今回のライブでは、新しい曲が初期の曲とも違和感なく並んでいて、そこにb-flowerの世界観やスタイルを貫く「芯」のようなものを改めて感じた。“日曜日のミツバチ”で虚ろに眺めた6月の曇り空は“葉桜”の「薄青の空」に重なりつつ、曇り空の下を憂鬱と葛藤を携えながら歩んできたバンドの逞しさを裏付けているような気がした。

ゲストも迎えてそれぞれの曲の表情と輪郭を鮮明にしつつ、繊細だけれど力強くアグレッシブだけれどしなやかな、ライブバンドとしてのb-flowerの存在感が際立ってくる演奏だった。「グライダーと長靴」のキーボードソロがそれを最も象徴しているようで、とても印象的だった。間違いなく今日のライブのハイライトの一つだった。

ライブの最後は“舟”だった。この曲が約3年半前の高円寺HIGHのライブでは1曲目だったことを思い出した。

地図を持たない僕らだけど
どこかにやがては着いてしまう
どこまで こんなふうにして うまく
雨をよけながら
風を追いかけながら

叫ぶのではなく囁くように歌われる美しいマニフェストが、b-flowerの「これから」を静かに薄明るく照らしている、そんな気がした。

いいライブだった。

b-flower セットリスト(2022/06/18)
SPARKEL
Another Sunny Day
つまらない大人になってしまった
始まる、もしくはそこで終わる
日曜日のミツバチ
僕は僕の子どもたちを戦争へは行かせない(feat.遊佐春菜)
春にして君を想う(feat.THE LAUNDRIES TERRY  trumpet)
ペニーアーケードの年
Bye Bye Canary Bird
自由になりたい
グライダーと長靴
イノセンス ミッション(feat.THE LAUNDRIES TERRY  trumpet)

-Encore-

冷蔵庫に捨てる(Instrumental guitar)
葉桜
地の果てより発つ

-Encore2-

 

吉井和哉 THE SILENT VISION TOUR 2021-22(2021/12/28 日本武道館)

12月28日恒例の吉井和哉日本武道館公演の中でも、特に印象に残るライブになった。
セットリストも演出もそして吉井和哉の佇まいも全て含めて、吉井和哉の現在地を正直に明かしたライブだったと思う。12月28日という特別な日の武道館公演だからといって無理に笑うことも盛り上げることもないその姿勢に素っ気なさも感じたけれど、観客として「信頼されている」とも感じもした。

キャンセルカルチャーなどの昨今の世の中への違和感を歌った「〇か×」で始まったセットリストは、全てソロの楽曲で、古参ファンでも曲名を思い出すのに時間がかかる曲がいくつもあるようなマニアックなセットリストだった。“フロリダ” “欲望" "黄金バッド"と続いた時には思わず笑ってしまった。終演後私の後ろにいた二人組の女性は「途中からテイスト変わるかと思ったけど変わらなかったね…」と話していた。「甘くないソリッドなロックンロール」で貫いた抑制のきいたなセットリストだった。

個人的には、常にライブの5~6曲目で辺りで歌われる“SIDE BY SIDE”が嬉しかった。吉井和哉のソロライブでは、この曲での歌唱の印象がライブ全体の印象に重なることが多い。その意味で、今回のライブは「充実」していたと思う(高音が裏返る瞬間などが多少あったけれど)。私が聞きたいと思っていた曲(Sweet Candy Rain、NATURALLY、雨雲、Ruby、バスツアー、HEARTS、ROUTE69)は聞けなかったけれど、今回のセットリストを選んだ吉井和哉にアーティストとしての気概、気骨を感じた。

ステージ後ろのスクリーンにはそれぞれの曲に似合ったスタイリッシュな映像が映し出されていて、スクリーンに吉井和哉の顔が映し出されたのはアンコールの“FINAL COUNTDOWN”の時だけだった。スクリーンの映し出された吉井和哉の瞳は「涙目」のように見えた。

アンコール最後の“みらいのうた”を歌う前、吉井和哉は「個人的なことなんですけど…」と前置きして、父親が亡くなって今年で50年になること、「人は死んでから50年経つとゼロになる」ことを語った。さらに、アーティストとしての自分に残されている時間は多くはないと感じていること、コロナ禍でいろいろなことが変化していることも。人生における節目と変化、そして今もなお続く「向かい風」の状況に対して文字通り「祈る」ように歌われた“みらいのうた”は、この曲のためだけに今日のライブがあったとしても不思議ではないくらいに、美しく深い印象を残すものだった。

吉井和哉のようにその人生と生み出す音楽が分かち難く結びついているアーティストのファンを長く続けていたら、そしてその音楽に自分自身の人生を重ねるような聞き方をしていたら、いつの頃からか吉井和哉を「戦友」のように感じるようになった。そのせいか、12月28日の日本武道館でのライブは私にとって「戦況報告会」のようでもある。今回のライブから、「戦況」の見通しは不透明ではあるけれど、決して諦めることはないというメッセージを受け取った気がした。

吉井和哉セットリスト(2021/12/28)
〇か×
無音dB
Biri
フロリダ
欲望
黄金バッド
SIDE BY SIDE
RAINBOW
クランベリー
シュレッダー
ロックンロールのメソッド
MUSIC
点描のしくみ
Hattrick'n
PHOENIX
ビルマニア

―encore―
WINNER
WEEKENDER
FINAL COUNTDOWN
みらいのうた