友部正人「リクエスト大会2016」(2016/04/15 Star Pine's Cafe)

新緑のさわやかな春の夕暮れの吉祥寺の街は、ただそれだけで歌を口ずさんでいるようだった。そんな街で友部さんの歌を聞けることの幸せを噛みしめた。

前日まで、「夜よ明けるな」をリクエストするつもりだったけれど、ライブ当日の午後に気持ちが変わって違う曲をリクエストのための小さな白い紙に書き込んだ。
ライブの後半、友部さんが「今日2曲目のボブディランのカヴァーです」と言った瞬間、心の中で「わぁ」と小さく叫んだ。その曲は、私がリクエストした“Don't Think Twice,It's arlight”だった。鎌倉芸術劇場で収録したライブ盤(『あれからどれくらい』)と同じようにと言って、ステージの前の方に出てきてマイクを通さず生歌で歌ってくれたその曲は、とても素晴らしかった。かつて私の友人は「清志郎ジョン・レノンより正しい解釈で“イマジン”を歌っている」と言った。その言葉と同じように、「友部さんはボブ・ディランより正しい解釈でこの曲を歌っている」とさえ思うほどに――。

今さら名前を呼ばないで
呼んだことなんてないでしょう
今さら名前を呼ばないで
呼んでも、もう聞こえない
決心するまでにはずいぶん悩んだわ
一度は好きになった男
心までは愛しても魂までは無理だった
でも、もうあんまりくよくよしないでね

原曲では女性の元を去る男性の視点で<I gave her my heart, but she wanted my soul>と歌っているところを、友部さんは<心までは愛しても魂までは無理だった>と男性の元を去る女性の視点で歌っている。このフレーズを聞く度に、この女性の求めた愛の深さと、それを手放そうとする勇気に言葉をなくしてしまう。同時に、「諦める」ということが相手の自由と満足に対する尊重とともに、自分自身のそれらに対する尊重も含むのであれば、それもまた一つの愛の形、愛の選択なのかもしれないと考えてしまう。

そして、何度も繰り返される<でも、もうあんまりくよくよしないでね>というフレーズ。突き放しているようで励ましているようでもあり、捨て台詞のようでありながら祈りのようでもあるこのフレーズは、その真意がどこか引き裂かれているように聞こえる。この引き裂かれた感覚、感情が着地せずに宙に浮いたような感覚に接着したためらいが、こんがらがった愛の履歴を感じさせる。だからだろうか、<でも、もうあんまりくよくよしないでね>というフレーズは、愛する人の元を去る決意を自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。そして、歌の最後には、そのフレーズは別れの決意をした自分自身に対する労りと慰めの言葉のようにさえ感じられる。
歌を通して、解決し得なかった愛情の問題が、相手の問題ではなく、自分自身の問題として引き受けられるところに、この歌の希望があるのだと思う。だから、この歌はどこか軽やかで明るいのだろう。

…と、私がこんなふうにこの曲について思いを巡らせ、言葉を重ねるように、この日のリクエストされた一曲一曲にさまざまな思い、それぞれの物語があったのだと思う。
とてもいいライブだった。

友部正人セットリスト(2016/04/15)
―第1部―
朝の電話
日本に地震があったのに
こわれてしまった一日
空が落ちてくる
ボスニア・ヘルツェゴビナ
熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ
アイ・シャル・ビー・リリースト(ボブ・ディランカヴァー)
古い切符
くつあとのある話
どうして旅に出なかったんだ
私の踊り子


―第2部―
大阪へやってきた
誰も僕の絵を描けないだろう
にんじん
奇跡の果実
Don't Think Twice, It's Arlight(ボブ・ディランカヴァー)
君が欲しい
地球の一番はげた場所
6月の雨の夜、チルチルミチルは
中道商店街
待ち合わせ
一本道
すばらしいさよなら


―encore―
朝は詩人
ピアノ弾きさん