SPTZ THE GREAT JAMBOREE 2014“FESTIVARENA”(2014/07/09 武道館)

スピッツが武道館によく似合っていたというよりも、武道館がスピッツによく似合っていた――そんなふうに感じたライブだった。スピッツというバンドの存在感、その不思議さと大きさを改めて感じたライブだった。

客席の照明が落ち武道館の会場に観客が身に付けたビンズのライトが星空のように浮かび上がった。赤や青の小さな光が暗闇の中に点在しながら、ひとつの美しい絵になる様は、とてもスピッツらしいと思った。

バンド結成27年目で迎えた初めての武道館公演は、「ロックバンドと武道館」という化学式に期待される化学反応をするりとかわして、薄暗い物憂げなメロディの“夜を駆ける”で、水面に静かな波を起こすように始まった。そして、これ以降のセットリストが実に「スピッツらしい」セットリストだった。シングル6曲を含めてこれまでのアルバムからほぼ万遍なくピックアップしつつも、会場を埋めたファンにとって「誰もが愛する曲」という以上に、その一人ひとりが「自分こそが愛する曲」だと確信を強めるような曲が選ばれていた。だから、ライブ全編を通じて、全ての曲がハイライトだった。そして、ライブの前半から中盤にかけて最近の曲と交互に演奏された“海とピンク”や“僕の天使マリ”、“プール”を聞いて、スピッツの曲は「癒えない傷」だと思った。それはやはり今でも生々しく、「甘く切ない痛み」のままだった。

MCでは、初めての武道館公演の感激もにじませつつ、今までスピッツが武道館でライブをしなかった理由について、1月のライブのMCと同様に、当時の「ロックバンドは武道館をめざす」という風潮になじめなかったと語っていた。それは、若さゆえの「あまのじゃく」な態度だったのかもしれない。けれど、この日のライブを観て、それはこのバンドの本質に通じる重要なスタンスでもあったのかもしれないと思った。
「アンチ・クライマックス」あるいは「アンチ・ドラマチック」――思えば、スピッツにはどこか常にロックバンドやロックスターらしさを演出する「物語」から距離を置こうとする姿勢があった。熱狂や興奮よりも平熱と冷静を感じさせる佇まいとその変わらなさは、奥ゆかしさを通り越して頑なささえ感じさせる。けれど、だからこそスピッツの音楽は「みずみずしい棘」として絵空事ではなく現実として、聴き手の心のなかで痛み続けるのだということ。
例えばこの日、とても心に突き刺さったのこのフレーズ。今まで何度も聞いてきたはずなのに、恐ろしく胸に響いてきた。

浴衣の袖のあたりから 漂う夏の景色
浮かんで消えるガイコツが 鳴らすよ恋のリズム
映し出された思い出は みな幻に変わってくのに
何も知らないこの惑星は 世界をのせて まわっているよ
(涙がキラリ☆)

このフレーズが映し出すような、ロマンチックな妄想が現実と溶け合って胸を騒がせるという「奇跡」あるいは「魔法」の前では、ロックバンドのサクセスストーリーはひどく陳腐で手垢にまみれたものに見えてしまう。最も心揺さぶる物語はスピッツの曲の宇宙にこそ偏在しているということ。スピッツがロックバンドらしさを体現する物語を遠ざけてきたのは、曲の中で起こり続けている小さな「奇跡」と「魔法」を本気で信じているからなのかもしれない――そんなふうに思った。
バンドの、アーティスト個人の物語が、曲のなかの「僕」と「君」の物語をかき消すことのないように――これが、このバンドの最大の美意識なのかもしれない。そしてそれが、ロックバンドであろうとするバンドに溢れた音楽シーンにおけるスピッツの唯一無二の「オルタナティブ」な存在感につながっているのかもしれない。

ライブの終盤ふと、そのライブの安定感とこれからも予想される変わらなさを想像して、あと10年、20年したらスピッツは日本の「ローリング・ストーンズ」のようなバンドになっているかもしれないと思った。とても逆説的でまるで冗談のようだけれど、そんな風に思えるほど、スピッツは無敵で不変だった。

スピッツセットリスト(2014/07/09 日本武道館)
夜を駆ける
海とピンク
けもの道
僕の天使マリ
不思議
恋する凡人
空も飛べるはず
プール
フェイクファー
夏の魔物
涙がキラリ☆
エスカルゴ
ヒバリのこころ
スワン

愛のことば
正夢
ハニーハニー
エンドロールには早すぎる
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野生のポルカ
トンガリ'95


−encore−
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青い車
晴れの日はプカプカプー