新年でにぎわう池袋の映画館で『みらいのうた』を観た。
イエローモンキーのこれまでのドキュメンタリー映画『パンドラ』(2013年)とも『オトトキ』(2017年)とも、全く違う感触の映画だった。車中の場面が多かったにしても、これだけずっと吉井和哉の横顔を見つめたことは、これだけ生の言葉を聞いたことは、初めてのように感じた。
1.「ロック」という人生
吉井和哉とEROさんという「ロック」を人生として選んだ人達が歩む人生は、複雑で時に残酷な様相を呈していて、「神様」という存在を代入しなければ解けない方程式のようだった。けれど、癌の告知や闘病においてさえも、吉井和哉の表情や口調は、どこか飄々と淡々としていて、吉井和哉の心の強さや覚悟を感じた。と同時に、吉井和哉のお母様の「あの子は気持ちを心にしまい込むから」という言葉もオーバーラップした。
2.心の穴
静岡の海に佇み「寂しかったんでしょうねぇ」という告白から始まったこの映画は、「ロックスターが幼き日の自分(インナーチャイルド)に再会し、抱きしめる」ことがもう1つのテーマにもなっているような、そんな気がした。
父親を亡くした後、父親の役割を担うために母親が厳しくなったという述懐。吉井和哉にとって父を失うことは同時に「母なるもの」を失うことでもあったのだと、その「心の穴」の大きさが「静岡の少年」をロックスターにしたのだということ。
3.ロックスターの「夢」
映画の終盤、吉井和哉が語った夢がとても印象的だった。夢を叶えたロックスターだからこその夢だと思った。もし、彼が武道館や東京ドームを埋めるロックスターになっていなかったならば、この夢は語られただろうかと考えた。
映画を観終わった後、交差点の信号待ちで、ふと“雨雲”の歌詞を思い浮かべた。
夢が叶えば夢にだまされ雨雲広がって
本当の夢を探すことこそ夢だとわかった
4.もう一人の主人公
この映画のもう1人の主人公、EROさんは、そのカッコよさだけでなく、頑固さや不器用さも含めて、吉井和哉にとって「こうであったかもしれないもう一人の自分」なのかもしれないと思った。
映画のエンドロールで映し出される彼の部屋が、映画を通して見慣れているはずなのに、「聖なる場所」のような趣きを発していたのが印象的だった。吉井和哉にとってこの部屋は「聖地」なのだと思った。
そして、EORさんと歩く時の歩調を合わせる吉井和哉の姿に、さりげないけれど深い優しさが滲んでいた。
5.イエローモンキーという「宝物」
イエローモンキーのリハーサルや楽屋の場面で、改めてこのメンバーの偉大さを感じた。特にヒーセ!ヒーセが楽屋に現れるとぱっと空気が明るくなる。リハーサルやライブ後のあの和やかさこそ、このバンドの「宝物」であり、このバンド自体が「宝物」なんだと思った。
また、映画の本筋とは別に、東京ドームの退勤場面という、とても貴重なものを見ることができて、少しどきどきした。
6.「みらいのうた」
タイトルとは裏腹に、この映画では吉井和哉の幼い頃からの「過去」とその風景が多く映しだされていた。ふと、昔読んだ本の一節を思い出した。
老人は思い出に生きるという、だが彼が過去に賭けているのは、彼の余生という未来である。(小林秀雄『私の人生観』)
