『ロックンロールが降ってきた日』

20代(1980年代生まれ)から70代(1930年代生まれ)までの15人のミュージシャンが「ロックンロールとの出会い」を語った本。とにかく面白い。一気に読み終えた。
ミュージシャンが自分自身の聴き手としての音楽体験を語るという点では、渋谷陽一による対談集『ロックは語れない』*1と共通しているけれど、「ロックに出会った日のこと」を中心に語られたこの本では、ロックに対する感情とロックとの関係がより濃密に語られている。『ロックは語れない』が「〈対象〉についての語り」の本だとしたら、『ロックンロールが降ってきた日』は「〈感情〉と〈関係〉についての語り」の本なのだと思う。だから、この本に収められたそれぞれの語りは、もう何十年も前のことを語っていてもそれがまるで昨日のことのように生々しく、かつみずみずしい。


本の帯には「一曲の音楽で人生を変えた人たちの物語」と書いてある。それぞれに個性的な15の物語ではあるけれど、どの物語にも共通して「友達」が登場する。人生を変える1曲に出会わせてくれた友達、レコードを貸してくれた友達、バンドに誘ってくれた友達、そして同じバンドのメンバーとして日本のロックシーンを変えた友達――ロックンロールの幼い風景には必ず仲間がいて、友情がある。全ての物語に流れる友情が、この本を読み終わった後の何ともいえない切なさと爽やかさが同居する読後感につながっている。


15人のミュージシャンの語りはデビュー日の遅い順番に収められていて、ほぼ年齢の若い順番に並んでいる。その順番通りに読み進めていくと、成田大致や平田ぱんだがブルーハーツハイロウズ甲本ヒロト真島昌利)を、山中さわおがコレクターズ(加藤ひさし、古市コータロー)を、増子直純真島昌利RCサクセション(仲井戸麗一)を語るというように、15人のミュージシャンの語りが入れ子のようになっていて、1冊を通して日本のロックンロールのジェノグラム(家系図)が浮かび上がってくる。その構成が、世代を超えた「ロックンロールとの出会い」の普遍性とともに、世代による違いも感じさせる。
ミュージシャンの活動歴が長いほど(自分自身の音楽体験を語る機会が多く、語り慣れているということもあるかもしれないけれど)その語りはより物語らしさを帯びている気がする。20代、30代のミュージシャンの語りは、語りに登場するロックに出会った頃の自分と今の自分がほぼ接着していて、物語というより「自分語り」という印象が残る。けれど、40代以上のミュージシャンの語りは、ロックに出会った頃の自分と今の自分をほどよく切り離した上で、かつての自分を描写している。
山中さわおは、コレクターズの加藤ひさしと初めて会った日をこんなふうに語る。

『パチ・パチ・ロックンロール』を持って行って、加藤さんのアップの写真に「サインをしてください」って言いに行ったんです。恐ろしいことに。で、サインをもらっても帰らないという(笑)。コレクターズの楽屋にずっといるっていう。この空気を読まない、この恐ろしい感じ(笑)。みんな困っちゃって。もう好きすぎて帰れないんですよ。

仲井戸麗市は、ギターが自分の「居場所」だったことをこんなふうに語る。

そういう自分が本当にいたんだよね。ギターを持ってるとバス停に平気でいられるような自分がね。で、横に清志郎君が同じようにいるんだよね。新宿の俺ん家まで一緒に来るようになってたからさ。だから、そういうことを俯瞰するとさ、バス停にギター・ケースを持った馬鹿そうな小僧が二人いるだけなんだけど(笑)、ギターっていうのはそういう輝かしいばかりの自分たちにとっての居場所なわけじゃん。

愛おしさと恥ずかしさをもってミュージシャンが語るかつての自分は、まるで青春小説の主人公のようだ。


そして、個人的にとても興味深かったのは、ロックに出会い、ロックバンドに人生を捧げようとする彼らに対峙する親や教師といった「大人」の存在。全てのミュージシャンが親や教師のことを語ってるわけではないし、また語られる親や教師のすべてが自分の息子や生徒がめざすロックンロールの道を阻もうとしたわけではない。けれど、私が少年の夢の前に立ちはだかる大人が登場する語りの方により魅かれたのは、大人が突きつける現実(リアル)と子どもの夢(リアリティ)がせめぎ合うその瞬間にこそ「ロックンロール」を感じたからだと思う。
なかでも、甲本ヒロトが中学を卒業したら東京に行かせてほしいと親に頼んだ場面の語りは、とてもドラマチックだ。

「お父さん大人でしょ? 僕よりずっと大人で、僕を今まで育ててきたわけでしょ。だから僕が間違ってるっていうふうに説得してくれ。お願いだから、何をやってもいいから、僕を説得してくれ」って言ったの。「力まかせじゃなく、僕が納得するような説明で、何時間かかってもいいから説得してみせろよ!」って言ったの。向かい合って。
                      (中略)
で、結局、親は僕を説得することができなかったんだよ。ちゃんとした説明ができなかったんだよ。そんで上手いことが言えない親の前で我慢していたんだけど、僕はもう我慢できないと思って「それ見ろ。説明できないじゃないか!」って親父に掴みかかったんだよ。そして、グーで、右のグーで、親父の顔面を殴った。でも、喧嘩もちゃんとしたことがなかったから、どういうふうに殴ったかよく覚えてないんだけど、この手の、この手の甲に人間のほっぺたを当てたのも初めてだったんだけど、自分の親父のほっぺが当たった瞬間に、なんかもの凄く「いけない!」と思った。うん。その瞬間に親父のどんな説明よりも「あ、俺、高校行こう」と思った。

「東京に行くか、高校に進むか」という具体的な進路選択の問題ではなく、大人の説得を子どもの納得が上回るということ。それが「自立」ということなのかもしれないし、あの「リアル よりリアリティ」(ザ・ハイロウズ“十四才”)というフレーズの意味するところでもあるのかもしれない。そして、力づくで殴り倒すには弱く優しい父親というリアルは、一筋縄ではいかないヒロトのロックンロール観(リアリティ)に深い影響を与えている気がした。


長い歴史の水平の流れに、短い人の一生は垂直に交わる、と言ったのは誰だったか。この『ロックンロールが降ってきた日』のなかでは、ロックンロールの歴史の流れに、垂直に交わって爆発する15個の星がそれぞれの光を放っている。ロックンロールの光を反射させて輝いている*2

ロックンロールが降ってきた日 (P-Vine Books)

ロックンロールが降ってきた日 (P-Vine Books)

*1:山下達郎浜田省吾忌野清志郎仲井戸麗市大貫妙子遠藤ミチロウとの対談集。asin:4101467013

*2:この最後の一文はヒロトの語りの最後の部分からインスパイアされた。この部分を読むだけでもこの本を読む価値があると思うほどに、ヒロトの言葉は素晴らしい。