b-flower 「つまらない大人になってしまった」

12年ぶりのb-flowerの新曲。タイトルの率直さにほんの少しざわついていた心は、b-flowerらしい繊細なイントロに続いて現れた不機嫌な声に不意を突かれて動揺する。白いノートのページに青いインクの滲みが広がるように、聞き覚えのある透明な声が胸の奥に広がる。「懐かしい」と感じるにはひりひりとして「優しい」と思うにはちくちくとするこの曲は、紛れもなく「b-flowerの音楽」だと思った。この曲が「b-flowerの新曲」である理由がとてもよくわかる気がした。

肋の浮いた 痩せた少年だった日は遠く
月曜日の次に いつも決まって火曜日が来る


掲げていたシャングリラには 僕はきっともう届かないんだろう
なんでこんなつまらない大人になってしまったんだ

たった2行の最初の1連で、歌の風景を立ち上げて、色をつけてしまう詩才は12年前と変わらないというよりも、むしろより一層冴えているように感じる。
そして、<なんでこんなつまらない大人になってしまったんだ>というフレーズ。少年ではなくなった自分自身に対する深いため息と未来に対するあきらめが滲む。と同時に、文末の「だ」に力がこもるこのフレーズには、どこか毅然とした佇まいがある。曲が進み、何度もこのフレーズが繰り返されるにつれて「僕」がまっすぐに何かを睨み付けているような、そんな雰囲気さえ漂う。このフレーズは、静かに何かを告発しているように聞こえる。<なんでこんなつまらない大人になってしまったんだ>というため息は、「つまらない大人になったこと」に気付かない、あるいは気づきながらも気付かないふりをして生きることへの告発でもあると思った。


告発の歌、プロテストソングは「肋の浮いた痩せた少年」に似合う。けれど、「つまらない大人」にしか歌えないプロテストソングもあるのだということ。そこには「つまらない大人」を告発する少年の美しさはないけれど、「つまらない大人になってしまった」自分自身を見つめる強さがあり、そんな静かな強さが湛えるナイーブな美しさがある。
と、こんなふうに書いてみて、ああそうだったのかと気づく。b-flowerの音楽は、12年前もその前からもずっと、常に「プロテストソング」であったということに。繊細でナイーブで美しくあることで、そうではないものを告発し続けてきた音楽だったということに。<ナイーブという微熱を力に>(リラの咲く日々)闘い続けてきた音楽だったということに。


そんなb-flowerの本質をつくような、ジャケットのアートワークが本当に素晴らしい。写真のような絵のような、モノクロのようなカラーのような、現実のような架空のような、ほの暗いような薄明るいような、おぼつかないような勇ましいような――相反するふたつの表情の際(きわ)で成り立つ美しさが、か弱くも強いb-flowerの音楽にとてもよく似合っている。


http://www.breast.co.jp/b-flower/seedsrecords.html