ザ・クロマニヨンズ 『BIMBOROLL』

ザ・クロマニヨンズ10枚目のアルバム『BIMBORLL』。ブルースハープが鋭角的に突き刺さってくる“ペテン師ロック”で幕を開けて、一気に疾走する36分13秒。

アルバムのリリースに合わせたさまざまな媒体でのインタビューでは、徹底して「何も考えていない」と創作の意図を明かさないというよりも創作の意図などというものの存在自体を否定するヒロトマーシー。彼らは何も主張していないようでいて、ロックンロールとは意図ではなく衝動であるべきであり、それは説明するものではなく行為するものだという美意識を体現しているようだ。
そして、このアルバムの3曲目“ピート”を聞いたとき、あぁそうだ、たとえそれがヒロトマーシー自身の言葉であったとしても、もはや言葉での説明など不要なのだと思った。

かたちじゃないよ ピート 言葉でもない
夢見るときの ピート 心のような


だから いますぐ ピート
その ギブソンで ピート
ぶっ壊してくれ 僕の 部屋


おお マイ・ジェネレーション
おお マイ・ジェネレーション

その名もずばりのタイトルを持つ、ザ・フーピート・タウンゼントに捧げたこの曲は、<ピート>という掛け声のフェイドインから始まってその名前を何度も呼び、<おお マイジェネレーション>と締めくくられる。まるでロックンロールに出会ったばかりの中学生がノートに書き殴ったような歌詞。それが雄弁に赤裸々に語っているように、ロックンロールとはそれに心を奪われたときの部屋ごと爆発したような、心が受けた衝撃そのものであり、形でも言葉でも表現しえないということ。あるいは、それはその衝撃によって刻まれた「魂の皺」のようなものなのかもしれない。
この曲を聞いてしまうと、ザ・ブルーハーツの“パンク・ロック”の<パンク・ロックが好きだ/中途ハンパ半端な気持ちじゃなくて/ああ やさしいからすきなんだ/僕 パンク・ロックが好きだ>というロック史に残る慧眼なフレーズさえも、説明過剰と思えてしまう。それほどに、この音楽は「夢見るときの心」そのものであろうとしているようだ。

“光線銃”で<新しいとか 古いとか/それよりもっと ただ好きだから>とロックンロールへの愛を告白した後に<誰からも 見えない 子供>というフレーズを続けるヒロトは,自分の身に起きた奇跡が誰にも気づかれないという孤独と、誰にも気づかれなくても構わないという覚悟の両方を知っているのだろう。そして,その後に続くアルバム最後の“大体そう”で<たいていの日は 特に何もない/大体そう それでいいのだ>と、マーシーらしい飄々とニヒリズムをかわすしなやかな逞しさが印象に残る。
ロックンロールへの愛情というには生ぬるいほどの覚悟と、「今・ここ」を肯定する生命力――この2つを燃料に、ザ・クロマニヨンズの『BIBBOROLL』は回転している。

そして、また、クロマニヨンズのツアー(2016年11月から2017年4月まで、66本!)が始まる)。ライブで化けたようにかっこよくなると予想しているのは“誰がために”。

BIMBOROLL

BIMBOROLL