山中さわお『退屈な男』

ロックバンドのメンバーがソロアルバムを出すとき、バンドとは違う音楽を追求したり、バンドのパブリックイメージとは違う表情を見せたりすることが多い。だから、ソロアルバムというのは、そのアーティストの「素顔」や「等身大」により近い作品といえる。けれど、『退屈な男』という身も蓋もないタイトルを持つこのアルバムで出会うのは、「素顔の山中さわお」や「等身大の山中さわお」というのとはちょっと違う気がする。むしろ、このアルバムで歌われているのは「自分の素顔が分からない」ということだと思う。

ジャケットと歌詞カードのなかで山中さわおは灰色で佇んでいる。“ストレンジ・カメレオン”や“HYBRYD RAINBOW”で、どんなに世界になじまなくても、なじまないがゆえにはっきりと感じられていた「自分の色」を忘れてしまったかのような、それを思い出そうとしているかのような表情で。
そして、<僕は影なのかい?/実体はどこなんだ?/自分自身を見失ったみたいだ/取り戻してくれ/今すぐ取り戻してくれ>(Old Sundial)というフレーズ。確固たるキャリアとファンとの信頼関係を更新し続けるロックバンドのフロントマンの告白は、軽快なメロディと英語詞のオブラートに包まれているけれど、その中身はとても切実だ。というよりもむしろ、切実だからこそオブラートに包んだのではないかという気がしてしまう。

思い出すのはバンド結成20周年に合わせて発表された“1989”。そのなかで山中さわおはおそらくデビュー当時と変わらぬ懸命さでこう歌っていた。<Please catch this my song/必要とされたい/Please catch this my song/明日は誰かに会えるかな/Please catch this my song/君に届くように>。誰かに、君に届くように歌い続けてきて、ふと立ち止まってみたら自分のために何を歌ったらいいのか分からない――そんな、22年前には想像もしなかった困惑がアルバム全編を通して見え隠れする。風の強い日をひたすらに走り続けてきて、気が付けばあんなに居心地の悪かった世界とも仲良くなってしまったその後で、山中さわおは初めて自分と仲良くすることに向き合っているのかもしれないと思った。

今決して出さない
君への手紙を書いている
わかってる
病的な衝動に負けてはいけない


そして僕は実際に旅をしてみた
じっとしてるのは良くないと思った
少しずつ僕は元気になっていると思う
新しい風 新しい町 新しい歌
僕はまともになれるかな?
(Rehabilitation)

ファンにとっては歌詞からもメロディからも「山中さわおらしさ」が十二分に伝わってくるその一方で、この曲は山中さわおにとっては初めて吹かれる風であり、初めて訪れる町であり、初めて歌う歌なのかもしれない。そんな何とも言えないぎこちなさが、静かで透明な感動を運んでくる。
この“Rehabilitation”を終えたとき、山中さわおは確かな自分の色を見つけるのだと思う。そして、それはきっとピロウズの音楽の新しい色にもなるのだと思う。

退屈な男

退屈な男