THE YELLOW MONKEYアルバムレビュー(Revised)

私が以前に書いていたブログで10年前に書いたザ・イエロー・モンキーのアルバムレビューです。少しだけ手直しましたが、10年前も今もこのバンドに対する私の思いは、このレビューにある思いのまま、そのままです。

・BUNCHED BIRTH (1991.7.2 Release)
このバンド名でこのジャケット。聞いた人間の心に暗いひっかき傷を残すという意味でこのバンドは最初から正統派のロックバンドだった。<空は今何色なの?/ここから早く出たいよ>(WELLCOME TO MY DOG HOUSE)。強烈な被害感とグラムロックのきらびやかさの融合。吉井和哉の最初の作詞である“LOVERS ON BACK STREET”は家族を失った娼婦の歌。イエローモンキー時代の吉井の詩作を貫くモチーフである[生殖であり性愛である「セックス」]がすでにここにある。<あなたにもお花をあげましょう>(同)――陽の当たらない地下室から差し出された一輪の棘のある花のようなミニアルバム。
BUNCHED BIRTH


・THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE(夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー) (1992.6.21 Release)
時は1992年、バンドブームの後、渋谷系が台頭する日本のロックシーンに登場した<愛されないParanoia band>(Subjective late Show)の記念すべきメジャーデビューアルバム。<そして夜は全てこの手の中アルカロイドは君の中/鐘が鳴るまでロマンティスト・テイスト>(Romantisit Taste)といったカタカナ英語優勢の歌詞も含めてグラムロックの美意識が色濃い。今にして思えばメジャーという戦場に出て行くための鎧としてのグラムロックだったのかもしれない。一筋縄でいかない仕掛けをちりばめつつも“This is for you”“Pearl Light of Revolution(真珠色の革命時代)”など、メロディの美しさが際立つ。なお、当時『ロッキング・オン・ジャパン』誌でこの1stアルバムをレビューしたのは田中宗一郎氏。
THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE


・EXPERIENCE MOVIE(未公開のエクスペリエンスムービー) (1993.3.1 Release)
このアルバムが一番好きだというイエロー・モンキーのファンを私は何人も知っている。もしあなたがこのアルバムを好きならば、あなたはきっとイエロー・モンキーをずっと好きでいられると思う――そんなバンドへの信頼を裏付ける踏み絵のような1枚。シャンソン、歌謡曲などあらゆるジャンルの要素を貪欲に取り入れつつ、「イエロー・モンキーとしか言いようのない音楽」としての2nd。“フリージアの少年”をはじめとする名曲とともに、なんといっても吉井和哉が戦場で恋人を失った女性「マリー」として歌う“4000粒の恋の唄”と“シルクスカーフに帽子のマダム”。これが単なる絵空事ではない説得力を持つのは、26歳で亡くなった父親と残された母親の物語を吉井和哉自身が歌のなかで生きてみせるから。フィクショナルでありながら、その歌が生身のライフヒストリーと交錯するという稀有な才能が顔をのぞかせ始める。
EXPERIENCE MOVIE


・JUGRA HARD PAIN (1994.3.1 Release)
デビッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』に倣った、吉井和哉の両親の物語と二重写しとなる、マリーとジャガーの物語が展開するロックオペラ的コンセプトアルバムの3rd。歌詞カードのには坊主頭で赤い特攻服を着て百合の花にほほ寄せる吉井和哉。ロックシーンのトレンドとは一切無縁。こんな突拍子もないコンセプトアルバムを作り上げてしまう吉井和哉は、表現者として圧倒的にチャーミングな存在であるということ。無茶で強引だけれども周囲の人間をひきつけずにはおかない強力な何かを持っているということ。バンドの代表曲となる“悲しきASIAN BOY”でようやくオリコンの隅っこに登場する一方で、ライブは中野サンプラザ2DYS。この後、バンドはいよいよ<死んだら新聞に載るようなロック・スター>(ROCK STAR)への道を歩む。
jaguar hard pain 1944-1994


・SMILE (1994.2.1 Release)
フランス語のナレーションに続けて荘厳なオルガンが鳴り響く1曲目“Smile”。その空気感とアルバムのSEのような位置づけが、1stの1曲目“Song for Night Snails”を思い起こさせる。このアルバムはイエローモンキーにとって「二度目のデビューアルバム」だったのかもしれない。前作までの退廃的でねじれた美意識と大仰な物語性は影をひそめ、いきなりのポップでメジャーな展開。ファンから割られたCDが送られてきたり、ディスクレビューで「産業廃棄物」と形容されたりと、愛情の深いファンには戸惑いと不満も与えたが、アリーナクラスのロックバンドへの通過点としては必然だった4th。「男子一生に三度血涙をのむものだ」と言ったのは太宰治。このアルバムで吉井和哉は覚悟して血涙をのんだのだろう。だからタイトルとは裏腹にジャケットの少女はは泣いているのだろう。歌詞も曲もどことなく行き詰まり感が見え隠れするけれども、そのフラストレーションが次のアルバム以降の大きな飛躍につながったと言えなくもない。
SMILE


・FOUR SEASONS (1995.11.1 Release)
1曲目“Four Seasons”。<まず僕は壊す/退屈な人間はごめんだ/まるで思春期の少年のように/いじる喜び覚えたて/胸が騒ぐのさ>。前作までのコンセプチュアルな構えを全て脱ぎ捨て、<全部足りない>からこそ<全部欲しい>と歌う徒手空拳の無力な少年がそこに、いる。今作以降“JAM”を代表として吉井の詩才は高く評価されるようになる。けれど、ここにあるのは「文学性」などというやわな装飾を削ぎ落として言葉の裸体を素手で掴むような強引な握力である。アルバム全体としては、“太陽が燃えている”などイエローモンキーのメジャー展開を支えたポップチューンと、“空の青と本当の気持ち”など次の『SICKS』へのブリッジとなる深化した作風とが同居しつつも、すべてが「イエローモンキー」という強力なバンドイメージに1mmの狂いもなく収斂している。コンセプトも物語も戦略も必要としなくなったバンドの成長と強さが証明された5th。
FOUR SEASONS


・SICKS (1997.1.22 Release)
名曲“JAM”さえ過去のものであるかのような錯覚を与える90年代邦楽ロックの傑作6th。世界の矛盾と自分の無力さに肩を震わせていた“JAM”の少年が毅然と歩き出す。<君が思うほど僕は弱い男じゃないぜ>(楽園)。かつて<ロックスターになれば羽根が生えてきて>(ROCK STAR)と歌い、今作で名実ともにロックスターとなった吉井和哉が歌う重力にひきずられるような重苦しい光景。<TVのシンガーこれが現実/君の夢などこっぱみじんさ>(TVのシンガー)。祖母に手向けられた“人生の終わり(FOR GRANDMOTHE)”で吉井和哉はこんなふうに歌う。<僕が犯されたロックンロールに希望なんてないよ/あるのは気休めみたいな興奮だけ/それだけさ>。そして、ロックスターであることの残酷さを引き受けた上でこう続ける。<君の愛で育ったから/これが僕の愛の歌>。単なる気休めの興奮でしかないロック、けれどそのロックのなかでしか歌えない愛の歌があるということ。だからこそ、このアルバムはロック以外の何ものでもない悲しさと美しさを湛えて鳴り続ける。
SICKS


・PUNCH DRUNKARD (1998.3.4 Release)
硬質なドラムソロで幕を開ける7th。これまでのどのアルバムとも異なる寒々しい音の質感とこれまでのどのアルバムよりも絡みつくような吉井和哉の声。CDセールス、ライブ動員、メディアの評価、あらゆる点でバンドキャリアのピークを迎えたイエロー・モンキーが差し出したのは、赤黒い傷口と青紫のあざに彩られた満身創痍の身体と、廃屋の壁に書きなぐられたようなむき出しのセックス。<それよりもこの愛を君に見せたい/ごらんよこれが裸のボクサー>(パンチドランカー)。そして、<身体で身体を強く結びました/夜の叫び生命のスタッカート>(球根)と歌うこのヘヴィなバラードが、イエロー・モンキーのシングルで唯一のオリコン第1位となった。ここにあるのは自虐でも露悪でもなく、ただひたすらに素手でつかみ合うようなコミュニケーションへの渇望であり意志である。だからこそ、このアルバムは全てのアルバムのなかで最もぶっきらぼうでありながら、最もエロティックであり、最もロックであり、ロックそのものである。
PUNCH DRUNKARD


・SO ALIVE (1999.5.26 Releae)
1年間113本に及ぶ超人的な全国ツアー「PUNCH DRUNKARD TOUR 1988/1999」を収めた唯一のライブアルバム。言うまでもなく、破格のライブバンドだった。その圧倒的な存在感が封印されていると同時に、ベスト盤的選曲でイエローモンキーの魅力が最も分かりやすくパッケージされた1枚。アルバム全体を通して、新たな地平を切り拓いていく高揚感と死に場所を探すかのような悲壮感が背中合わせになって演奏のテンションを支えている。そして、“JAM”や“真珠色の革命時代(Pearl Right Of Revolution)”のイントロが鳴った瞬間に湧き上がる歓声。その歓声を聞く度に胸の奥がギュっと締めつけられる。<誰にでもある青春/いつか忘れて記憶の中で死んでしまっても/あの日僕らが信じたもの/それはまぼろしじゃない>(SO YOUNG)。いつか消えてしまう予感と今ここで確かに信じた感動との狭間でファンは声を枯らして叫ぶ。その声さえも一瞬にして過去のものになってしまうというのに――けれどだからこそ、その声はどこまでもせつなく美しく響く。
SO ALIVE


・8 (2000.7.26 Release)
末広がりで、メビウス(無限大)でもある「8」。アルバムタイトルに込められたそんな想いも虚しくラストアルバムとなった8th。外部プロデューサーによるバンドサウンドの変革を試みた“バラ色の日々”や“聖なる海とサンシャイン”、バンド本来の熱っぽさをあえて抑えたSF的な“ジュディ”や“GIRLIE”、ストリングスが美しい吉井のソロ的な“メロメ”など、1曲1曲の完成度の高さとは裏腹に、アルバムとしての統一感が薄いと感じたファンも実は多かった。そんななか “カナリヤ”のふと我に返ったような素直な歌詞とメロディが際立つ。<そこには悲観が転がっていた/先には小さな花が咲いていた>。悲観の先の小さな花――これがこのとき吉井和哉が見ていたバンドの姿だったのかもしれない。アルバムの最後で迷いながらも歌われた決意。<次の峠まで歩いていかなきゃ/何もないけれど君はキレイだよ>(峠)。おそらく、峠を乗り越えられなかったのではなく、バンドとして乗り越えるべき峠を乗り越えてしまったからこその結末だったのだと思う。
8


THE YELLOW MONKEY、2001年1月8日活動休止、2004年7月7日解散――いつまでも大好きです。

そして、THE YELLOW MONKEY、2016年1月8日再結成発表。