『オトトキ DOCUMENTARY of THE YELLOW MONKEY』(2017/11/11)

公開初日に銀座の映画館で観た。同じバンドのドキュメンタリー映画ではあっても、2013年に公開された『パンドラ ザ・イエローモンキー PUNCH DRUNKERD TOUR THE MOVIE』id:ay8b:20131006とは異なる感触と印象を残す映画だった。
2016年に「再集結」したザ・イエローモンキーの1年間を追ったドキュメンタリー映画。復活のアリーナツアー「SUPRER JAPAN TOUR 2016」からホールツアーの「SUBJECTIVE LATE SHOW」、年末の「メカラウロコ・27」、「COUNT DOWN JAPAN2016-2017」まで、ライブとリハーサルや楽屋での様子、メンバーと関係者のインタビューで構成されたこの映画が映し出していたもの、それは「家族」と「仕事」だった。どちらの言葉もロックバンドのドキュメンタリー映画のモチーフらしくないようでありながらも、この映画が意識的にも無意識的にも一貫して浮かび上がらせていたのは、「家族としてのロックバンド(ロックバンドという家族)」「仕事としてのロックバンド(ロックバンドという仕事)」だった。
だから、この映画は、ザ・イエローモンキーというバンドの世界観とは裏腹に「エロス」をほとんど感じさせない。その点に多少の物足りなさを感じないわけではなかった。けれど、この映画の中にあったバンドの現在地が、長い時をかけて、さまざまな季節を潜り抜けてたどり着いたものであることを思い、そして、その時間にはファンとしての自分自身の時間も重なっていたことを思ったとき、安堵と郷愁が入り混じったような気持ちになった。

アリーナツアーの終盤、2016年の7月にエマとアニーの父が永眠するという状況に直面しても、ツアーを続行しライブに臨み、そしてやり遂げるバンドの姿は、ステージの上に立つという「仕事」の宿命を示していた。と同時に、ステージ上がる直前にアニー、エマ、そして吉井和哉をハグするヒーセの姿は「家族としてのロックバンド」の救いを示してもいた。映画の中で吉井和哉自身の言葉で語られていたように、「兄弟」=「家族」という喩えに何ら違和感のないメンバーの関係性がそこにはあった。そして、その構図は、2016年の大晦日紅白歌合戦への出演を果たした直後の「COUNT DOWN JAPAN 2016-2017」のステージで突如声が出なくなった吉井和哉と、彼を囲むメンバーやスタッフの姿にも見て取れた。
また、横浜アリーナでの「YOKOHAMA SPECIAL」のライブで、熱狂する観客の渦に呑み込まれるように“SPARK”を歌った吉井和哉が、リハーサルで客席の間をどこまで進めるかを柵の位置とともに確認していた姿は、興奮や衝動以上に準備と計算を感じさせるものだった。しかし、だからといってあのライブの感動が薄れるわけでも嘘になるわけでもなかった。吉井和哉のその姿は、ファンの期待と自分に課された役割を、求められる以上に成し遂げようとするロックスターの自覚と意志を感じさせるものだった。
そんなふうにして、「家族」と「仕事」を縦糸と横糸にして編まれる物語は、ロックバンドの興奮や華やかさよりも、イエローモンキーとして生きる彼らの冷静さと真摯さを強く印象づけるものだった。

だから、バンドにとっての母胎といえる渋谷ラ・ママでの観客のいない4人だけのライブは、観客がいないがゆえに「仕事」に徹しきれず、メンバー同士が楽屋で見せ合う「家族」のような表情を垣間見せる不思議な空気に包まれていた。次は観客を入れて演りたいという吉井和哉の言葉も含めて、彼らにとってのライブの本質が「show(ショー)」なのだということを再確認した気がした。と同時に、渋谷ラ・ママで演奏していた頃から「変わったもの」が当然あるにしても、ロックバンドとしての「変わらないもの」を今でもイエローモンキーが持ち続けていることも感じられた気がした。

個人的には、ライブ演奏をもっと長く観たかった曲(“Farther”など)が何曲もあったこと、12月の東京ドームのライブへと連なるメンバーの想いも聞きたかったことなど、いくつか思うところもあった。でも、やっぱり、観て良かったと思った。約17年ぶりとなる東京ドームのライブで、ザ・イエローモンキーがどんな表情でどんなふうにステージに立つのか、楽しみになった。