ましまろ ほーぼーツアー2015(2015/09/27 東京キネマ倶楽部)

カヴァー曲を続けて演奏したライブの中盤、ボ・ガンボスの“魚ごっこ”の前にマーシーが語ったどんととの思い出がとても印象深かった。「ブルーハーツっていうバンド」で沖縄のイベントに出演した時、どんとと一緒に夕暮れの浜辺でギターを弾いて歌った思い出。鼻筋の通った2人の綺麗な横顔とオレンジ色の海――まるで映画みたいだな、と思った。と同時に、このエピソードが映画的とであるいうよりも、マーシーが語る風景は何でも映画のワンシーンのように、あるいは一篇の詩のようになってしまうのだと思った。
それはちょうど、“ぼくと山ちゃん”の中のこんな風景さえも、マーシーが歌えばそれはイノセントでかけがえのない風景に感じられるように。

ケイがUコン飛ばしてる なまあたたかいくもり空
ぼくと山ちゃん見ているだけ シャツには風がからまって


ウィングオーバーきめてる ケイは大会に出るんだ
ぼくと山ちゃんほおばった 半分こしたチョコパピコ

この歌と同じく、マーシーの歌には、これまでも“夏が来て僕等”“岡本君”“プール帰り”など、夏の気配とともにある少年時代の風景を歌った歌がいくつもある。それらの歌に登場する少年は皆ロックンロールに出会う前の少年で、ロックンロールもギターも知らない少年時代の感性に対する郷愁と信頼が、マーシーの歌の外せないコード(和音)なのだと思った。

ホッピーの入ったジョッキ片手に登場したマーシーは、終始笑顔で、真城さんが何か話す度に顔をほころばせていた(思わず「…あの、ヒロトのMCにも、いつもそのぐらい笑ってあげて」と思うほどにw)。その「機嫌のよさ」こそが、ましまろの音楽の比喩ではなく本質という感じがした。真城さんのボーカルがまさにそれを象徴しているように、ましまろの音楽はとても機嫌のよい音楽なのだということ。そして、シンプルに力まずにやっているように見えて、実はそれこそがとても難しいことなのだということ。曲の合間合間でホッピーを飲みながら、マイペースに話し、歌うマーシーの姿はリラックスしているけれどストイックでもあり、またその逆でもあるように。

日本語訳で歌ったボブ・ディランのカバー“Knockin' on heaven's door”や新曲の“遠雷”も印象に残ったけれど、個人的に一番良かったのは、ライブ本編最後の“ずっと”。サビのところで、真城さんの温かく健やかに伸びる声に、マーシーのコーラスが重なるところ――。

恋の謎だけは 解けないでほしい
恋の謎だけは 解けないでほしい ずっと

このフレーズの「恋」は、「音楽」あるいは「ロックンロール」にも重なるような気がした。科学や哲学、宗教のように、解けない謎に答えを与えようとするのではなく、謎が謎のままであることを願うということ。それは、科学も哲学も宗教も知らない幼き少年の感性こそが、最も純粋な感動への扉の鍵だということなのかもしれない。だから、ましまろの音楽は<何もない ようなふりして>(ガランとしてる)、虚しさとは対極の豊かさで満たされているのだと思う。

ましまろセットリスト(2015/09/27)
体温
したたるさよなら
いつかどこかできっとまた
ぼくと山ちゃん
しおからとんぼ
遠雷(新曲)
公園
海と肉まん(新曲)
ローラーコースター(新曲)
ごっこボ・ガンボスカヴァー)
ハートビート(バディ・ホリーカヴァー)
Knockin' on heaven's door(ボブ・ディランカヴァー)
山の師匠
はだしになったら
ガランとしてる
ずっと


―encore―
ナポリの月(新曲)
水色の風船

ましまろ

ましまろ