ザ・クロマニヨンズの新作『MUD SHAKES』のリリースに合わせた、バンド史上(ヒロトとマーシーのキャリアにおいても)初の配信ライブを観た。
ライブ会場となった、ハイロウズ時代からのプライベートスタジオ「アトミック・ブギー・スタジオ」と思しき場所は、狭くて薄暗い場所だった。けれど、クロマニヨンズのロックンロールが始まると、その場所は、照明が煌々と照らすどんな広い会場もよりも、自由で無限な空間に変わっていった。的確なカメラワークと相俟って、クロマニヨンズのロックンロールの疾走感と無敵感が、画面を揺らすように伝わってきた。
薄暗い空間で等身大のエルビス・プレスリーの人形に見守られながら演奏するその姿はまるで、「秘密基地」で「ロックンロール」という名のおもちゃ箱をひっくり返して遊んでいるかのようだった。その印象は新作『MUD SHAKES』にもぴったり重なって、配信ライブは新作を貫く純粋さと痛快さをより一層際立たせていた。
ジャングルビート、パンク、ソウル、ドゥ・ワップ、ブルース、ハワイアン…と、曲ごとにさまざまな音楽スタイルを変幻自在に繰り出す鉄壁の演奏と、その間に顔を出す「ランララランランラン」や「パタンパタン」「ドンパン」「しんじんしんじん」など、真剣にふざけているような、ふざけているようで真剣な、イノセントなコーラスが印象的で、これまでのどのアルバムよりも「バンド全体で歌っている」感じがした。
そして、歌詞はますます、「メッセージ」から逃走して、発語の快感や言葉遊びの楽しさを優先したかのような、即物的でありながら抽象的な印象を残すものになっている。テレビ番組「まつもtoなかい」出演後に話題になった、ヒロトの「今の人は歌詞を聞きすぎ」「もっとぼんやりしてていい」という発言に惹かれてクロマニヨンズを聞いた人が「こういうことか!」と納得する姿が目に浮かぶ気がした。誰もが共感できそうだけれど誰も歌おうとはしない日常に埋もれた光景と感情を切り取った‟新人”は、昨年のシングル「クレーンゲーム」収録の‟単ニと七味”に続く「発見」だと思った。
クロマニヨンズのロックンロールは、もうすでに何かの「境地」に達しているのだろう。けれど、『MUD SNAKES』を聞けば聞くほど、その「境地」の正体を考えることが無意味に思えてくる。そして、それこそがクロマニヨンズのロックンロールが目指しているものなのだと思う。
ピカソの絵を見て子どもの絵のようだと思う。けれど、子どもはあんなふうには描かないし、描けない。クロマニヨンズを聞いてバンドを始めたばかりの中学生のようだと思う。けれど、バンドを始めたばかりの中学生はこんなふうには歌わないし、歌えない。けれど、クロマニヨンズは、バンドを始めたばかりの中学生に、ロックンロールの雷に打たれた少年に全力で挑んでいるのだと思う。