『パンドラ ザ・イエローモンキー PUNCH DRUNKERD TOUR THE MOVIE』(2013/09/28)

公開初日に神戸の映画館で観た。劇中のライブ映像の激しさや華やかさとは裏腹に、しみじみとした静かな感動といつまでも胸の中に波紋を広げる切なさが残った。観て良かったと思った。

1998年4月から1999年3月にかけて行われた113本に及ぶ「PUNCHD RUNKERD TOUR 1998/1999」のドキュメンタリー映画。「記録」と呼ぶには感傷的すぎ、「伝説」と名付けるは痛々しすぎる−−そんな印象を持った。
ツアーのライブと舞台裏(楽屋、移動、打ち上げなど)の映像に加えて、2013年の現在においてメンバーとツアースタッフが当時を振り返る映像で構成された115分。15年前のツアーの映像はフルカラーなのに対して2013年の映像はすべてモノクロームで、過去と現在が入れ替わったような、現在を生きる人達が当時を語ることで過去を生き直しているような、そんな不思議な感覚を覚えた。

映画のなかでも特に、当時を振り返るメンバー、舞台監督、事務所社長、マネージャーらの語りが、その内容だけでなく、語り口も含めて印象的だった。メンバーも含めて当時を語る彼らの語り口は皆どこか控えめで淡々とさえしていた。それは、武勇伝を誇らしげに語る姿ではなく、事実を冷静に伝えようする姿だった。思い起こせば昨日のことのように生々しくもあり、その一方で短くはない時間の経過によって懐かしくもあるような、「15年前/15年後」という絶妙な地点での語りだと思った。だから、モノクロームの映像に彩られて語る人達の姿から、この映画のもう一人の主役、この映画の最大の演出は紛れもなく「15年」という時間なのだと思った。
そんな15年を経てようやく話せること、受け入れられることがある一方で、ツアー中に亡くなった若きスタッフを想う人達の表情は、時間が経っても癒えない悲しみを湛えていた。それは決して過去にはならずに「永遠の現在」であり続けていた。悲しみを語る時の、言葉と言葉の間、そして語り終わった後の沈黙は、言葉以上に雄弁だった。

映画のなかでは、ツアーの1年前、1997年のFUJI ROCK FESTIALの映像も織り込まれていた。「PUNCH DRUNKERD TOUR」がバンドにとってある意味で必然であったことを説明するために。
Foo FightersRed Hot Chili Peppersに挟まれたタイムテーブルでのライブ前の吉井和哉の緊張した表情。そしてライブ後に「Foo Fightersが(ステージ袖で見てて)すげえ盛り上がってたよ」というスタッフの声に和むメンバーとは対照的な、吉井和哉の悲しそうな表情。こんな悲しそうな表情の吉井和哉は見たことがないと思うほどに悲しそうな、傷ついた表情だった。その表情を観てふと「今の日本の20代、30代のバンドで海外のバンドと自分達の演奏力を比較して傷つくバンドがいるのだろうか」と思った。演奏力の問題というよりも、海外のバンドと日本人である自分達を比較すること自体がもはや意味をなさなくなってきているのではないかと思った。そう考えると、イエローモンキーというのは「洋楽コンプレックス」を抱え、「洋楽に伍する日本人のロックンロール」という夢に囚われた最後の世代だったのかもしれないと思った。吉井和哉のあの悲しそうな表情は、その夢を成し得なかった自分自身に対する失望の表情だったのかもしれない。
このシーンを観て、改めてイエローモンキーというのは意識的にせよ無意識的にせよ「本物のロックンロール」「ロックンロールの真正性」に拘っていたバンドだったのだと気付いた。だから、「本物であること」「真正であること」を担保するための「洋楽に伍する演奏力」という目標の前に膝をついた後、1年間で113本というツアーの長大さ、過酷さをバンドに課すことは、それによってバンドが「本物」であり「真正」であることを証明しようとする試みだったのかもしれない。2013年に、なんで113本のツアーをやろうと思ったのかと吉井和哉に問われた大森社長の「外タレをめざしていたじゃない、一時」という答えは、その肩の力の抜けたケロッとした語り口とは裏腹に、イエローモンキーというバンドが何を目指して、何に挫折したかということの重大な告白に聞こえた。

そして、ツアー最終日。1999年3月10日横浜アリーナ。その楽屋で吉井和哉が自らオーディオを操作してかけた“ララバイ・オブ・ユー”(ジョー山中)と“マイ・ウェイ”(ジプシー・キングス)の切なさが、このツアーの到達点だったのだということ。成功でも失敗でも、勝利でも敗北でもない、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、その両方でもあるような結末。失ったものと得たもの、歩いてきた道とさらに進む道とが交錯する通過点としての終着。それは最初は、壮大な冒険でありロックンロール・ドリームだったのかもしれない。けれど、この日開演までの時間を過ごすメンバーの静かな姿は、冒険に挑むのでもなければ夢を叶えるのでもない、「ただ、やるべきことをやる」人間の姿になっていた。

この映画には、イエローモンキーの美しい姿がいっぱい詰まっている。私がこの映画のなかで最も美しいと思ったのは、ツアー最終日の最後の曲“SO YOUNG”で、吉井和哉が<SO YOUNG!!>と最後にシャウトした直後に振り上げた右手から真っ赤なギターピックが落ちた、その瞬間。赤い花びらが散るようにこぼれ落ちた、その瞬間――ロックンロールの、ロックバンドの美しさというのは瞬間にしかないものなのかもしれないと思った。だからこそ、その一瞬は本当にかけがえがないものだと思う。

「思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけだ」と言ったのは誰だったか。この映画では誰も過去を美しく飾ろうとはしていなかった。だから、この映画は誰にも「余計な思いをさせる」ことなく、イエローモンキーというバンドがその不器用さや無様さも含めて、とても美しいロックバンドだったことを思い出させてくれる。