「クリア」

新曲の“クリア”“ボンボヤージ”に加えて、ソロになってからのライブで演奏されたイエローモンキーの楽曲が収録されたこのシングルのなかで、吉井和哉は3種類の服を着ていると思った。“クリア”が真新しい服で覚えたてのステップを披露しているとしたら、イエローモンキーの楽曲は誰よりも似合う着慣れた服で自在にポーズ決めているようだと思った。そして、そのどちらにも形容できない“ボンボヤージ”は、喪服姿で穏やかな表情で真っ直ぐに佇んでいるようだと思った。昨年末の武道館のライブid:ay8b:20150103の最後で“ボンボヤージ”を歌った時に、この1曲のためだけに衣装を変えて登場して、全身黒い服で歌っていたことの意味がよく分かる気がした。だから、このシングルの中ではやはり“ボンボヤージ”が強く印象に残った。喪服というのは、その人の心のありよう、魂の形を浮かび上がらせるからかもしれない。

“ボンボヤージ”は吉井和哉のキャリアの節目の曲、文章のピリオドのような曲なのだと思う。この曲のなかで、吉井和哉は、駆け抜けてきた道とこれから進む道が交差する場所で立ち止まり、自分が出会った全ての人に丁寧な挨拶をしているようだ。その挨拶は「永遠の別れ」を仄めかしつつも、そこには不安や寂しさがない。その代わりに、別れの後にも互いが互いの「遺したもの」をしっかりと胸に抱くことができるという信頼と安堵がある。言い換えればそれは「感謝」ということなのかもしれない。

重い扉のハンドルを回して締めたら旅立ちだ
あなたの笑顔はいつの日も
私の勇気になりました

“ボンボヤージ”を聞いていたら、“MY FOOLISH HERAT”のことを思い出した。“MY FOOLISH HERATもまた“ボンボヤージ”と同様にシングルのカップリング曲で、アルバム未収録でありつつも、吉井和哉のキャリアの一つの節目にあたる曲だと思う。そして、この2曲のことを考えていたら、ふと“ボンボヤージ”は“MY FOOLISH HEART”に対するアンサーソングのようにも聞こえてきた。“ボンボヤージ”のなかの<ひとりぼっちと思ったらいけないよ>という優しく力強いこのフレーズは、“MY FOOLISH HEART”のなかの<一人かい僕はずっと一人かい>という震える心を慰めているようだ。
そして、この2つの曲の間にちょうど9年という月日が流れていることに気づいたら、「あぁ、<長い旅>をしてきたんだなぁ…」と思った。アーティストである吉井和哉だけでなく、その聞き手である自分自身もまた旅をしてきたのだと思った。辿りついた場所は「終着点」ではなく、これもまた「新しい通過点」にすぎないのかもしれないけれど、振り返ってみてその道程を愛おしく誇らしく思えるところに、吉井和哉の音楽の真摯と誠実があるのだということ。

新作『STARLIGHT』と春からのツアーを楽しみにしている。

クリア

クリア