友部正人「バス停で待っている」(2015/03/07 南青山MANDARA)

とてもいいライブだった。友部さんのライブに対して「いい」「悪い」という形容詞は無粋に思えるけれど、率直に「いいライブだった」という幸せな余韻が残るライブだった。友部さん自身も調子の良さを感じていたようで、3、4曲目が終わったところで「久しぶりなのでじゃんじゃん歌っちゃてます」と照れ笑いで話し、いつものライブで途中に挟まる休憩も今回はなかった。

とても印象的だったのは、“日本に地震があったのに”を歌った後に、この曲が収録されているアルバム『ぼくの田舎』の同名曲の中のあるフレーズについて友部さんが語ったこと。<それは一年ではあるけれど>という東日本大震災から1年が経ったことを表したフレーズについて、友部さんはこんなふうに語った――震災からもう4年経ってしまったけれど、この歌のなかでは「一年」のままで、時間が経つと『一年』というのが詩になるんだなぁって思いました。そう言った後に「わかります?」と少しはにかんで客席に確かめる姿も含めて、印象に残った。
元々は現実を表すための「一年」という言葉が、時間の経過に沿って現実から置いてきぼりにされるのではなく、現実から自立して一つの「詩(うた)」として現実に浸食されない色や輪郭を持って存在するようになる、という発見を、友部さんは伝えていた。その語り口に、「友部さんほどの詩人であってもまだなお言葉について発見することがあるのだ」と聞き手である自分の方が新たな発見をしたような気になった。けれど、すぐに私のこの発見はいくぶん不正確だと思い直した。むしろ「数えきれないほど多くの詩を綴ってもなお、言葉について発見し驚くことができる人だからこそ、友部さんは詩人なのだ」と思い直した。詩人というのは、言葉について知り尽くした博識やそれを自在に操れる技巧ではなく、使い古された言葉でさえも生まれて初めて耳にし口にするかのように、言葉にみずみずしく出会い続け、ぎこちなく驚き続ける感性によって担保されるのだと思った。

ライブの終盤では、3月に刊行されたばかりの書き下ろしの新詩集『バス停に立ち宇宙船を待つ』のニューヨークの風景に重なる、新しい歌が歌われた。その中の1曲「フロム・ブルックリン」という歌がとても良かった。列車なかに1組でもカップルがいればその列車は幸せを運んでいることになる、という幸せな法則が歌われていた。そして、そのなかの<悲しみを理由にしない旅に出よう>というフレーズが、健やかな感じがしてとてもいいなぁと思った。友部さんの歌うニューヨークは温かく、そして健やかだ、と思った。

終演後、詩集『バス停に立ち宇宙船を待つ』を購入した。それは、月のようなモチーフが浮かぶ表紙と金色に縁どられた小口の、美しい本だった。

友部正人(2015/03/07)セットリスト ※うろ覚えで曲順は不正確かもしれません。
悲しみの紙
鎌倉に向かう靴
かわりにおれは目を閉じてるよ
地獄のレストラン
朝は詩人
6月の雨の夜、チルチルミチルは
SKY
弟の墓


詩集『バス停に立ち宇宙船を待つ』から朗読
 あとがき
 八時十五分
 マメナシの花
 ぼくの片足は今バスに乗り
 遠いアメリ


ランブリン・ジャック
こわれてしまった一日
日本に地震があったのに
マウリの女
大阪へやって来た
遠来
フロム・ブルックリン
バレンタインデー
私はオープンしています


―encore―
(詩の朗読。題名不明)
一本道
愛について

バス停に立ち宇宙船を待つ

バス停に立ち宇宙船を待つ