2日目。フラカン×被り曲なしのワンマン×2=おなかいっぱい胸いっぱい。
ライブが終わって1週間経過してもなお強烈な印象を残すw「ツイッター」ネタのMC。
先ごろ対バンしたサニーデー・サービスの曽我部さんからツイッターを教えてもらうも理解できない圭介さん。「“カレーライス食べたい、なう”ってさぁ・・・」「みんなが一人でぼやいてどうすんの、っていうか全員が“いとしこいし”だろ」――誰か、圭介さんに離乳食なみに噛み砕いてツイッターを教えてあげて。*1
そんな爆笑(失笑)MCの後にいきなり“吐きたくなるほど愛されたい”*2は反則。心の準備が・・・。泣き笑い(笑い泣き)状態。
手を少しだけ切って 薄赤い血をなめた
馬鹿馬鹿しくて 毛布をかぶった
迷う程道はなくて 選ぶ程余裕なくて 終わる程勇気なくて
まだここにいる
前日に演奏された“東京タワー”もそうだけれど、赤裸々というには痛々しい心情を歌っても、憐れみとか甘えとかいった誰かに寄りかかる感じではなく、むしろそれでも一人でなんとか立っていようとする感じがする。
とことん落ちた感情や風景がベタベタせずにどこか潔く感じられるのは、「感情それ自体は表現ではない」ということがフラカンの、圭介さんの曲作りの底に流れているからじゃないかと思う。それはアーティストとしてのスキルでもあり美意識でもあるのだろう、と。
という、ことを考える隙もなくがむしゃらなテンションのまま、ライブは終盤、そしてアンコールへ。
ラスト(3度目のアンコール)は“さよならBABY”。
風吹く 朝焼けは涙の色 さよならBABY さよならBABY
またぜひ千葉LOOKで。