THE YELLOW MONKEY 「未来はみないで」

2020年4月4日と4月5日に予定されていた、ザ・イエローモンキの東京ドーム公演は、新型コロナウィルス感染症の影響により「開催延期」となった――結成30周年を祝うバンド史上初のドームツアーが発表された昨年8月はもちろん、この新曲が発表された今年3月半ばでさえ、この「未来」は予想できなかった。にもかからず、あるいはそれゆえに、「未来はみないで」というこの曲はバンド自身の意図を超えた意味を帯びて聞こえる。

2016年1月のイエローモンキーの再集結にあたって最初に発表される予定だったこの曲が、2020年3月に再集結後の一連の活動を締め括る「ファンへの私信」のようにリリースされ、そして気が付けば「予測不能」と「不確実」だけが約束されている2020年4月初旬の日本の状況とシンクロしていることを感じ、ロックンロールが、風に舞う花びらのように、作者の手のひらから飛んでいく瞬間を目撃しているような気分になった。そして、ふと、2011年の3月18日、東日本大震災後初めての生放送の音楽番組で、吉井和哉がリリース間近のアルバムから「FLOWER」を歌った時のことを思い出した。

時に、歌には、それが作られた時の作者の想いや状況を超えて、図らずも社会や歴史と交錯する瞬間が訪れるのかもしれない。あるいは、社会や歴史が急に表情を変えるその瞬間に、「交錯するに足る歌」というものが浮かび上がるのかもしれない。そういう歌はというのはむしろ、社会や歴史などというものを殊更意識することなく、エゴイスティックなまでに「自分の人生」に向き合った極私的な愛の歌なのかもしれない。

この曲を聴くたびにいつも、あるいは聴き終わった後にずっと、曲のタイトルでもある未来はみないでというフレーズと、曲の最後に歌われる<また会えるって 約束してというフレーズが心の奥に留まり、頭の中を巡る。「みないで」「約束して」という吉井和哉の声が、願望の表出のようにも状態の叙述のようにも聞こえて、向かい合って笑顔で手を振りながら少しずつ遠ざかっていくような、温かくも寂しい気持ちになる。そして、そういう複雑な情感が、「イエローモンキーらしさ」という唯一無二のオリジナリティとして、余計な説明や理屈抜きにすとんと心に響いてくることが、実はとてもすごいことなのだと感じる。

曲の後半、力強い声で吉井和哉はこんなふうに歌う。

好きな歌を一緒に歌わないか? そのために歌があるなら

“JAM”の<素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから/好きな歌を歌う>というフレーズを思い出す。「好きな歌」が自分の空虚を埋めるものではなく、誰かと分かち合うためのものとして歌われていることに、何とも言えない感慨を覚える。ライブの動員やアルバムの売り上げという数で示せる側面以上に、こうした言葉が宿す意味の変容に「バンド結成30年」という時間の重みがあり、そしてそれをともに味わえるファンの幸福があるのだと思う。

 みえない未来のその先で、未来が笑っていることを、この曲を再びライブで聞けることを願っている。  

未来はみないで

未来はみないで

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