吉井和哉「Kazuya Yoshii Beginning & The End」(2015/12/28 日本武道館)

吉井和哉の武道館公演から一夜明けた朝、スーツケースをなくす夢を見た。夢の中でスーツケースをなくした私は、焦って、困っていた。目が覚めた後も、「夢で良かった」と感じるよりも、夢の中で感じた寂しいような悲しいような、そして少し恐いような気持ちを引きずっていた。時間が経って、夢の中でなくしたスーツケースの色や柄がうまく思い出せなくなってから、ふとこの夢は昨日観たライブのことなのだろうかと考えた。スーツケースの中に何が入っていたのかは分からないけれど、もし吉井和哉がソロになってからの12年の間に私が受け取った感動が詰まっていたならば、失くしたことを残念に思う以上に、それだけの感動を与えてくれたことに感謝したいと思った。

ペダルスティールのトリオ演奏をフューチャーしたオープニングは斬新でライブの印象の幅を広げていたけれど、少し冗長で観客のニーズとはすれ違ってしまった印象だった。ソロになってからの全ツアーで演奏した楽曲を対象にしたオフィシャルモバイル・PCサイト会員による人気投票を基にしたセットリストは、自分が選曲・構成したのかと思うほどに私の好みであったけれど、新曲「クリア」でスタートしてオリジナルアルバムとカヴァーアルバム第2弾をリリースした「2015年の吉井和哉」とどう切り結ぶのかが分からなかった。ボーカリストとしてのキャリアの中で最も伸びやかで力強い声で歌う吉井和哉は、その声量の豊かさと迫力だけで十分な説得力を持っていたけれど、心の深い場所から歌っている透明な感じが少し薄れたような気もした――そんなふうに、オセロの石が白色と黒色にころころと反転するように、相反する気持ちが同時に湧き上がってくるライブだった。
けれど、それは決して「吉井和哉の問題」ではなく「私の問題」であり、また「私の問題」でなくてはいけないのだと思った。私がこれまでに何度も心に刻んできた感動が嘘偽りのない「本当のこと」なのだとしたら、この違和感も「本当のこと」なのだということ。それはどちらも「私の心」という1枚の石の両面なのだから、自分の心が感じるものから目を逸らしたり、それを違う何かにすり替えたり、それを誰かのせいにしてしまったら、私が今まで吉井和哉の音楽からもらってきた感動が全て嘘になってしまう。だから、自分の心に正直に従えば、私にとって今回のライブは素直に「感動した」「いいライブだった」とは言い難いライブだった。でも、それは繰り返して言うけれど、「吉井和哉の問題」ではなく「私の問題」なのだということ。

「私の好きな吉井和哉がいなくなった」わけではない。この日のライブのどの瞬間を切り取ってもそうであるように、吉井和哉が素晴らしいアーティストであることに変わりはない。ただ、「吉井和哉を好きな私」が私の中で小さくなってしまったのだということ。そして、「吉井和哉を好きな私」は私にとってはかけがえないのない友人、同志であり戦友のような存在だったから、それを失うことはやはり寂しく悲しく、そして少し恐い。
「スーツケース」を失くしてしまったことはとても残念だけれど、でもそれは「スーツケース」が悪いわけじゃない。それに、吉井和哉は今回のライブの中でこんなふうに歌っていた。

捨ててしまったもの戻ってこないけれど
なくしてしまったものなら 急に帰ってくることあるんだぜ
(トブヨウニ)

だから、実はあまり悲観してはいない。ある日また「ひょんなきっかけで」それは戻ってくるような気もしている。

吉井和哉セットリスト(2015/12/28)
恋の花
PHOENIX
I WANT YOU I NEED YOU
欲望
SIDE BY SIDE
CALL ME
BLOWN UP CHILDREN
朝日楼
シュレッダー
TALI
魔法使いジェニー
MUSIC
点描のしくみ
(Everybody is)Like a Starlight
FLOWER
雨雲


−encore−
トブヨウニ
SWEET CANDY RAIN
BLACK COCK'S HORSE
ノーパン
HEARTS
FINAL COUNTDOWN
血潮
MY FOOLISH HEART