YOSHII KAZUYA SUPER LIVE 2014〜此コガ原点!!〜(2014/12/28 日本武道館)

11月にリリースされたカヴァーアルバムのサブタイトル(「此レガ原点!!」)を1文字だけもじったサブタイトルを持つ、吉井和哉2年ぶりの武道館公演。それは映画に例えるならば、てっきり「スピンオフ(番外編)」だと思って観ていたら、実は新しく始まる本編の「予告編」だった、というような、そんなライブだった。

『此レガ原点』の収録曲と順番をほぼなぞりつつ、その合間に文章の改行のようにオリジナル曲を織り交ぜたセットリストは、その「改行」のたびに会場の空気が一変していたことがとても印象的だった。選曲の絶妙さだけでなくその迫力や表現力も含めて文句のつけようがないカヴァー曲を堪能しつつも、やはりオリジナル曲は特別だと思った。カヴァー曲がすでに物語の結末まで書き上げられた名作を歌っているとすれば、オリジナル曲は未だ執筆の途上にある未完成の物語のページをめくっているようだった。吉井和哉のオリジナル曲には不思議な緊張感と透明感があると気付いた。

カヴァー曲のなかで特に印象的だったのは“夢の途中”。ライブで聞くのを特に楽しみにしていた1曲。今回のカヴァーアルバムでくりかえし聞くなかで、この歌の「君」と「僕」はどういう関係なのだろうと、ずっと考えていた。他のカヴァー曲の「君」と「僕」の関係に比べると、この曲で歌われているその関係は「謎」を孕んでいる。おそらく「僕」は「君」のかつての恋人なのだろうと想像する一方で、<希望という名の重い荷物を/君は軽々と/きっと持ち上げて/笑顔みせるだろう>という確信に満ちた予言や、<いつの日にか 僕のことを 想い出すがいい>という導くような言葉は、どこか高いところから「君」を見下ろす誰かでもあるようで、ずっと心にひっっかかっていた。けれど、この日のライブでカーテンの襞のような紫の照明に囲まれて歌う吉井和哉を観ていたら、ふとこの曲の「僕」は「すでに亡くなってしまった恋人」なのだろうと思った。亡くなった恋人が空の上から自分を見守り続けているいると感じ、その想いを「僕」の視点と僕の言葉で「君」が心の中で思い浮かべている――そういう歌なのだと思った。そう思うとこの歌の冒頭の<さよならは 別れの言葉じゃなくて/再び会うまでの遠い約束>というフレーズがより深く胸に刺ささるようだった。

近年のライブでは、ライブのどこを切り取ってもハイライトと呼べる吉井和哉のライブではあるけれど、やはり今回のライブのハイライトは2回目のアンコールで黒装束で歌った新曲“ボンボヤージ”なのだろうと思う。本編の最後に歌った新曲の“クリア”とこの曲は、曲調はそれぞれ全く違うけれどどちらも「旅立ち」の歌だった。思えば、2年前の12月28日の吉井武道館id:ay8b:20121231で歌っていた“HEARTS”もまた「旅立ち」の歌だった。けれど、この2曲、特に“ボン・ボヤージ”はこれまでの吉井和哉の「旅立ち」の曲とは決定的に違っている感じがした。なぜなら、曲の視点は「旅立つ」側というよりも「見送る」側にあったから。
“ボン・ボヤージ”前のMCで吉井和哉はこの曲について、自分が死んで火葬場で焼かれる時のことを想像したら船出のようだと思ってこの曲を作ったと言っていた。「永遠の旅立ち」が「見送りの歌」に転じることの不思議を思った。と同時にそれは、ライブの中盤で解けた“夢の途中”の謎にどことなく通じているような気もした。そして、「血が受け継がれるということ」という、イエローモンキー時代から通底する吉井和哉の歌のモチーフは引き継がれつつも、それはまた一つ新しい階段を登りはじめたのだと思った。

吉井和哉セットリスト(2014/12/28)
SPINNING TOE HOLD 〜OPENING〜(クリエイション)
真赤な太陽(美空ひばり)
WEEKENDER
ウォンテッド(指名手配) (ピンク・レディー)
おまえがパラダイス(沢田研二)
サムライ(沢田研二)
VS
夢の途中(来生たかお)
あの日に帰りたい(荒井由実)
百合コレクション(あがた森魚)
人形の家(弘田三枝子)
シュレッダー
さらばシベリア鉄道(大滝詠一)
MUSIC
点描のしくみ
ビルマニア
SPINNING TOE HOLD 〜ENDING〜(クリエイション)


―encore1―
襟裳岬(森進一)
おそそブギウギ(笠置シヅ子)
アバンギャルドでいこうよ(THE YELLOW MONKEY)
SUCK OF LIFE(THE YELLOW MONKEY)
FINAL COUNTDOWN
クリア(新曲)


―encore2―
ボンボヤージ(新曲)