『ヨシー・ファンクJr.〜此レガ原点!!〜』

カヴァーアルバムには大きく2種類がある。一つは「トリビュートアルバム」と呼ばれる、複数のアーティストがある特定のアーティストやバンドの曲をカヴァーしたもの。もう一つは、一人のアーティストが自分以外の複数のアーティストの曲をカヴァーしたのもの。後者は、幅広い楽曲を歌いこなせる歌唱力と、他のアーティストの曲を歌っても損なわれないオリジナリティがあって成立する。吉井和哉初のカヴァーアルバム『ヨシー・ファンクJr.〜此レガ原点!!〜』はその両方にしっかりと裏付けられている。このアルバムには、吉井和哉の「一歌手」「一ボーカリスト」としての自信と、自分自身のリスナーとしての個人史が昭和歌謡史に根差しているという自負が感じられる。

アルバムタイトルでもある「ヨシー・ファンクJr.」という名前と、カーリーヘアにタキシード姿というそのビジュアルイメージが、興味深いと思った。少なからず「思いつき」と「語呂合わせ」で成り立っているような気もするけれど、その名前が「息子」を意味しているという点で、「ヨシー・ファンクJr.」は、「LOVIN-SON (ロビンの息子)」をほのめかす「YOSHII LOVINSON」とコインの裏表の関係にあるのかもしれないと思った。どちらも、吉井和哉の「内なる息子」なのかもしれないと思った。
YOSHII LOVINSON」が吉井和哉のなかの「傷ついた子ども」であるとするならば、「ヨシー・ファンクJr.」は吉井和哉のなかの「自由奔放な子ども」のようだ。このアルバムの吉井和哉はとてものびのびと自由自在に「愛する音楽」という空を飛び、「歌うことの快感」という海を泳いでいるようだ。だから、どの収録曲にも、かつてラジオやテレビ、レコードを通して胸を躍らせた時そのままの、曲に対する無邪気な愛情と尊敬がある。ロックバンド寄りにアレンジした曲や少年少女の合唱をフューチャーした曲がありつつも、ほぼ原曲通りに歌われた収録曲からは、吉井和哉がその幼き時代に感じた感激と興奮をその質感を保ったまま現代のリスナーと分かち合おうとする姿勢を感じる。

吉井和哉が選んだ収録曲は、「今・ここにあなたがいないこと」あるいはその予感に胸を痛めたり、身悶えしている歌ばかりだ。歌の主人公達は皆、甘く切ない記憶のなかを旅している。その選曲が、実に「吉井和哉らしい」と感じると同時に、そんな甘く切ない記憶を、その痛みも含めてみずみずしいままに胸に抱き続けるために人は「誰かの歌」を求めるのかもしれないと思った。その意味で、このアルバムは、一人の少年の極私的な体験を通してポップミュージックの普遍を浮かび上がらせてもいる。それを、力まずにさりげなく成し遂げているところに、今の吉井和哉の充実と余裕が、ある。
第2弾も期待したいと思う。*1

*1:個人的に吉井和哉にカヴァーしてほしいのは、中山ラビの「じっとしてな」もしくは「時よおやすみ」。