『GUMBO INFERNO』

アルバムのタイトルやジャケットの重厚な印象とは裏腹に、クロマニヨンズの新作『GUMBO INFERNO』は爽やかで切ない風が吹いているような、そんな感じがした。
それを象徴する、1曲目の“旅立ちはネアンデルタール”。

飽きたわけじゃない いやになったんじゃない
星空のそのむこう 憧れたのだ
ネアンデルの谷から
幾千の火の玉に 乗り 旅立った
さらば ふるさと

アルバム終盤に続く”キスまでいける”の海を超える飛行機、“ドードードードー”の涙の谷を渡る蒸気機関車も含めて、このアルバムには「前進」の清々しさがある。けれど同時に、それは必然的に「旅立ち」を孕んでいて、「旅立ち」は「別れ」の隠喩だと気付く。そして、気付きながらも気付かないふりをして、その清々しさに騙されたふりをしてみるべきなのだと思った。なぜそんなふうに思ったのかはうまく説明できないけれど、その説明できない理由の何分の1かは、アルバム最後の“孤独の化身”でヒロトがこんなふうに歌っているからだ。

君が 一人で行けば
僕も 一人で行く
孤独の化身 孤独の化身
孤独の化身

予感をふり払うには断定的で、感傷に耽るには性急な、まるで疾走するような決意表明に、“鉄カブト”を思い出した。孤独がもたらす感情を味わうには柔らかすぎる心は、避けられない決意だけを残して走り去ろうとしているかのようだ。
そして、この歌詞の「君」と「僕」には、あらゆる二人称的関係が代入可能だからこそ、それは聞き手にとってもさまざまな予感や感傷を引き起こす。けれどそれでいながら、アルバムに散りばめられたロックンロールの揺るぎないかっこよさと楽しさが、「そんなことは“ロックンロール”に比べたらたいしたことじゃない」と勇気づけてもくれる。

ツアーは来週から始まる。そのライブはきっと「ただ楽しく、ただかっこいいだけ」なのだろう。そのライブによって「ただ楽しく、ただかっこいいだけ」のロックンロールの記録が更新され、その記憶が心に深く焼きつけられることになるのだろう。ただそれだけで、本当にただそれだけで十分だと思う。