「6月の雨の夜、チルチル・ミチルは」

梅雨入りしたのに、今年の6月はずっと雨が降らなかった。早く降ってほしいと思った。今日やっと雨が降って、少しほっとした。そして、この曲を、何度も何度も、くり返しくり返し聞いている。

6月の雨の夜、チルチル・ミチルは
からの鳥かご下げて死の国へ旅立った
ゆうべのままのこのぼくが
朝日をあびてまだ起きている


半ズボンをはいたチルチルは 2人の子供のお父さん
そのチルチルにさそわれて
ミチルは生まれ育った町を出た


会話をとぎれさせまいと
わざと明るいお店を選ぶ
4人が作る沈黙の中で
6月の雨の池ができ上がる


6月の雨の通りを 今夜は歩く人も少ない
生ぬるくなったビールの中で
雨がポチャリと音をたてる


ポケットの中の車のキーを
まるっこい手で握りしめながら
車をホテルに預けてきたからと
ミチルに勘定を払わせる


もう会えないと思うからと
ぼくに一曲うたわせる
それほどよくはうたえなかったのに
最高最高とチルチルは言う


もしも死にに行く人になら
いい思い出だけにはなりたくない
そう思いながらも手を振って 黒い車を見送った


知らないことでまんまるなのに
知ると欠けてしまうものがある
その欠けたままのぼくの姿で
雨の歩道にいつまでも立っていた


6月の雨の夜、チルチル・ミチルは
からの鳥かご下げて死の国へ旅立った
ゆうべのままのこのぼくが
朝日をあびてまだ起きている


(友部正人 “6月の雨の夜、チルチル・ミチルは”)

6月になって、突然旅立った人のことを想う。最期にその人が願ったことは何だったのだろうと考える。答えはその人にしか、その人にさえも分からないかもしれない。けれど、きっとその人は「忘れないでほしい」と願ったのだと思う。だから、ずっと忘れないでいようと思う。

今はだた、その人の魂が安らかでありますように、と祈っている。その人の「鳥かご」に、何色でもいいから、その人と心が通じ合えてその人の心を慰めてくれる鳥が飛んできますように、と祈っている。