スピッツ 「さらさら/僕はきっと旅に出る」

スピッツ38枚目のシングル。四半世紀を超えるキャリアを経ても変わらず、というよりもむしろ、その長いキャリアのなかでも特にそのナイーブな感性がむき出しになったシングルだと思った。
1曲目の“さらさら”。

だから眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ
見てない時は自由でいい
まだ続くと信じてる 朝が来るって信じてる
悲しみは忘れないまま

思えば、スピッツの歌に登場する「君」は、ゴミだらけの世界を変える魔法のような、どんなに固く閉ざされた心の扉も開けるマスターキーのような存在として歌われてきた。例えば、思い出すのは<ああ君は太陽 僕は迷わない>(君は太陽)という万能感に満ちたフレーズ。けれど、そんな眩しさとは対照的に、“さらさら”に登場する君に託された願いは<眠りにつくまで そばにいてほしいだけ>とささやかで、<見てない時は自由でいい>と限定的だ。その代わりに、この曲には忘れられない悲しみと癒えない傷がシンとした静けさのなかに横たわっているような感じがする。光を反射する川面の下のほの暗い水底にいるような、そんな感じがする。そして、そんな風景に投影された心情は、強く何かを求めていないがゆえに、聞き手と距離を取ろうとしているかのようなよそよそしささえ感じさせる。けれど、そのよそよそしさは、悲しみや傷を君と分かち合おうとしたり君に癒してもらおうとしたりするのではなく、自分独りでそれに向き合ってそれを感じ続けようとする静かな覚悟のようなものを伝えてくる。

そして、2曲目の“僕はきっと旅に出る”。

僕はきっと旅に出る 今はまだ難しいけど
初夏の虫のように 刹那の命はずませ
小さな雲のすき間に ひとつだけ星が光る
たぶんそれは叶うよ 願い続けてれば
愚かだろうか? 想像じゃなくなるそん時まで

「聞き手の思い込み」と退けられることを承知で書くならば、この2つの新曲には震災が色濃く影を落としている。<僕はきっと旅に出る>に続く<今はまだ難しいけど>という、タイトルの前向きな響きを打ち消すようなフレーズは、あの悲しい出来事に未だ折り合いがつけられないでいることの正直な告白のように聞こえる。けれど同時に、<愚かだろうか?>という自問とともに携えた願いもそこには込められていて、その願いが聞き手を救う。その願いは<小さな雲のすき間に ひとつだけ星が光る>ような弱い光ではあるけれど、光であることに変わりはない。

2年前の震災直後、草野マサムネが「急性ストレス障害」になったと報道されたとき、驚くと同時にどこか腑に落ちるものがあったことを思い出す。それは、その感性の繊細さに共感したというのとは少し違っていた。僕と君の境界が曖昧になって互いに溶け合うような世界を志向する感性が、想像を超える悲惨な現実を目の当りにした時にそれを自分と切り離して対象化する術を持たず、その悲惨さを自分自身のものとして感じてしまうことはむしろ当然ではないかと、そんなふうに感じた。同時に、草野マサムネにとってスピッツの音楽は絵空事ではなく現実そのものなのだと思い知らされた。そして、そういう感性、自身が歌う「魔法」や「奇跡」が通用しない悲惨な現実に傷つく感性は、ある意味でとても「社会的」だとさえ思った。

あれから2年が経ち、<悲しみは忘れないまま>、ぬぐいきれない喪失感に満たされた部屋に流れる歌は、今はまだ希望の歌であるよりも祈りの歌であるのかもしれない。