開演から30分遅れで席に着いたとき*1、吉井和哉はこの会場では何度もライブをしたことがあると話していた。
NHKホールの3階席から見下ろすステージは、黒い地面に細長い何かが突き刺さっているように見えた。けれど、MCが終わって“おじぎ草”を歌い始めた吉井和哉は、突き刺さっているのではなく、ステージに根を下ろしているのだと思った。まっすぐに立っていた。
気の利いた比喩ではなく、この日聞いた“球根”はそういう歌だと思った。演奏の終わり、吉井和哉はマイクスタンドの前で、深く体を折り曲げて頭を下げた。とても長い時間だった。何かに祈りを捧げているようでもあり、感謝しているようでもあり詫びているようでさえあるような背中が見えた。拍手は次の“MUSIC”のイントロでかき消されるまで続いた。そのイントロがなければずっと続いただろうと思うほどに。*2 *3
そして、ライブの後半で歌った“GOOBYE LONELY”。最新アルバム『The Apples』のなかでは、どちらかというと地味に聞こえるこの曲が、ライブではとても印象に残った。
流れ流れてたどり着いた
何もない 何もない
君も色々あったみたいだね
可哀想にね 可哀想にね
言葉にしても何も伝わらない?
ならば一緒に歌おう
孤独に別れを告げられる時は孤独がなくなる時ではないのだと気づく。それは、自分の孤独を通して他人の孤独を感じ取れるようになる時なのかもしれない。曲のタイトルとは裏腹に、吉井和哉は自分の孤独を愛おしんでいるようだった。
その歌い方には、足りないものを満たそうとするそれとは決定的に違う何かがあった。遠く離れた客席にいても、吉井和哉がすっきりとした幸せそうな表情で歌っていることが伝わってくるような近さが、そこにはあった。
このこととこの日の“球根”の素晴らしさとは、土の中で根が絡まりあうようにしっかりとつながっているのだと思う。