おおくぼひさこ写真集 『BOYFRIEND』

忌野清志郎にはモノクロームの写真がよく似合う。

おおくぼひさこさんが撮影し、彼女自身の手によって選ばれた68枚の清志郎。そのうち約3分の2はモノクロームで、カラーであってもほとんどが青みを帯びている。またライブでの清志郎の姿をとらえた写真は1枚もなく、ほとんどがアルバムや雑誌用にスタジオで撮影された写真。
極彩色をまとい躍動するイメージとは裏腹に、モノクロームの静謐な佇まいの中に、清志郎のあの名状しがたい存在感が浮かび上がる。清志郎が繊細で複雑な人だったことが伝わってくる。

忌野清志郎の「最も近くにいた」一人であろうおおくぼさんの写真から強く感じたのは、彼女と清志郎との「距離」。「あとがき」のなかでおおくぼさんはこう振り返っている。

スタジオやロケだけでなくライブの撮影も頻繁だったが、楽屋での撮影は苦手だった。本番に向って準備しているメンバーが居る楽屋に潜り込んで、シャッターをきるというのは、性格的に合わなかった・・・。とは言っても仕事なので、いい写真は撮らねばならず・・・と、いつも葛藤があったのだが・・・。

おおくぼさんの撮る清志郎は、派手なメイクをしていてもロックスター然としたポーズをきめていても、どこか抑制的な、奥ゆかしい印象がある。それは、おおくぼさんが清志郎の「おとなしい」表情をよくとらえていたという意味ではなく、被写体の彼がどんなに親しい間柄であっても、シャッターを切るその瞬間、おおくぼさんが常に表現者として表現者である清志郎に向き合っていたというその距離感の表れという意味で。

被写体となった表現者に対する「尊敬」がおおくぼさんの写真にはある。それは、1977年のあどけなく飄々とした表情で野原立つやせっぽっちの青年の写真からすでに貫かれていて、どんなにページをめくっても写真家と被写体の距離はそれ以上近づくことも遠ざかることもない。その間には常に変わらぬ尊敬が、ある。
だから、「BOYFRIEND」というタイトルとは裏腹にこの写真集に「プライベートショット」は1枚もない。おおくぼさんは「素顔の」ではなく「表現者としての」忌野清志郎を撮り続けていたのだということ。

写真に寄り添うチャボの言葉。その文末では、途切れることのない想いを表すように「・・・」が幾度も繰り返されている。写真に本質的な切り取られた瞬間、動かない時間とは対照的に、途切れることのない「不在の永遠」という時間の経過が胸に響く。

おおくぼさんはいつも清志郎と向かい合わせに立っていた。チャボはいつも清志郎の横に並んで立っていた――写真家とギタリスト。それぞれの立ち位置から見たかけがえのないボーイフレンドが、ここにいる。

BOYFRIEND おおくぼひさこ写真集 文・仲井戸麗市

BOYFRIEND おおくぼひさこ写真集 文・仲井戸麗市