3月に新木場STUDIO COASTでのクロマニヨンズのライブ。中盤で演奏された“くま”。1st『ザ・クロマニヨンズ』収録の隠れた名曲。
改めてその「名曲」ぶりを感じつつ、目の前でヒロトが歌ったこのフレーズにはっとする。
くまの自動販売機
真夜中でも ドングリが買える
・・・!!!
ずっとくまがドングリ「で」ジュースやお菓子を買う絵を想像していたけれど、ドングリは貨幣ではなく商品だった!
そんななか、まさにその誤解を解く動画に出会う。
くまの自動販売機。どんぐりの自動販売機はこれだったのか、と感激。*1
そしてクロマニヨンズへの愛情とともに、ヒロトの、ロックンロールのイノセンスが画面からあふれる動画*2のすばらしさ。作者さんに両手いっぱいのドングリと感謝と尊敬を。
蛇足だけれど『FIRE AGE』のレビュー*3で書いたこと。
このアルバムを聞いて、かつてどこかで誰かがこんなことを語っていたのを思い出した――ピカソの絵を見て、子どもの絵のようだと言う。けれど、子どもは決してあのようには描かないし、描けない。
ロックンロールに憧れる音楽は「激しさ」や「鋭さ」を鎧のように纏い、それらしい題材を歌うべく頭を悩ませるかもしれない。けれどロックンロールそのものとなった音楽は、歌う題材など選ばない。むしろ、歌う題材はありふれた方がいいとさえ思う。猫、自転車、海・・・見たこと、思いついたことを歌にするだけ。
それはまるで、「失敗作」の存在しない、描くという行為以前の手の運動の軌跡だけで「完成品」を生み出す幼い子どもの絵のようでもある。けれど、それは「結果」であって、「過程」は真逆であるということ。子どもが自我の芽生えとともに作品意識を持つようになって(自分で「失敗作」とそうでないものを意識する)、様々な意匠を身につけていく道を逆に歩いてたどり着いたなぐり描きの地平。
クロマニヨンズを聞いて、子どもの歌のようだと言う。けれど、子どもは決してあのようには歌わないし、歌えない。
あんなふうに歌えるのはただひとつ、ロックンロールにつかまれている人間だけ。