『友だちを殺してまで。』

神聖かまってちゃんを聞いて、ロックンロールの「真」と「新」について考えました。けれどそれは、考えた結果「答え」を得たという意味ではありません。何か得体の知れない、しかし避けては通れない「問い」を突き付けられてしまったという意味です。

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1.「ロックンロール」という問い
神聖かまってちゃんの存在が、共感や驚嘆と同時に困惑にも似たひっかかりを残すのは、その表現が「ロックンロールとは何か」という問いを喚起しているからだろう。その問い自体は新しいものではないのかもしれない。けれど、神聖かまってちゃんの登場によって、その問いは「再発見」されてしまったようにみえる。その問いを「解決済」あるいは「不問」とみなしてロックンロールに安住することへの告発のように。

「ロックンロールとは何か」。ロックンロールの「当たり前」を疑うことの不安と、ロックンロールの「当たり前」が覆されることの快感。人は不安なときほど饒舌になるという。だとしたら、神聖かまってちゃんが突きつけている「問い」は、その「問い方」も含めて、想像以上に鋭く深いのかもしれない。
バンドに対するアンヴィバレントな感情に翻弄され、ボーカリストの「奇行」な言動に挑発され、性急とも思える活発なバンド活動に扇動され、神聖かまってちゃんに対する注目と反響はその大きさを増し続けている。このバンドに遭遇してしまった誰もが、誰よりも早くこの「現象」に名前をつけたいと、あるいは誰かに1日でも早くこの現象に名前をつけてほしいと願っているかのように。


2.2010年の「リアルより/リアリティ」
“ロックンロールは鳴り止まないっ”を初めて聞いたときに感じたこと。それは、MDとレコードプレーヤーの違いはあるにせよ、ロックンロールに胸を撃ち抜かれる少年の姿に大差はないのだということ。ザ・ハイロウズの“十四才”を思い出していた。
神聖かまってちゃんザ・ハイロウズあるいは<僕、パンクロックが好きだ/中途ハンパな気持ちじゃなくて>と歌ったザ・ブルーハーツが、の子とヒロトが「同じ」だということではない。その逆。「大差はない」、けれどそこに確実に存在する「差異」を思った。

かつてロックンロールに胸を打ち抜かれた少年の確信。<リアルより/リアリティ>(“十四才”)。現実ではなく現実感。家も学校も部活の帰り道も、現実には何も変わらなくても、ロックンロールに出会ってしまった少年の現実感として、現実は変わる。だから、<ロックンロールは鳴りやまないっ>し、鳴りやんではいけないのだということ。

けれどその一方、<ジョナサン 人生のストーリーは/ジョナサン 一生じゃ足りないよな>(“十四才”)という「限りある時間」とは対照的に、神聖かまってちゃんのロックンロールに流れる時間は水飴のように透明に滞っている。
チャリを漕ぎ続けて二十歳を過ぎた/気付かないふりをして走り出す>(“23才の夏休み”)その姿には、空虚と憂鬱と焦燥が滲む。走っているのに風景が変わらない不思議な現実感。夏休みが終わらないことは、幸福だろうか不幸だろうか。
そして、<冷たい風に吹かれて/どうしようもない大人になりました>という宣言が<僕はいつまでもそんな糞ゲロ野郎でさ>(“ぺんてる”)という諦めに連なるとき、「子ども/大人」という境界は消失してしまったように思える。時間は流れない。繰り返される夏休み。バンドのオフィシャルサイトが「子供ノノ聖域」という名前であることの納得と逆説。


3.大人はもういない
『友だちを殺してまで』というアルバムタイトル。最初にそれを知ったとき、「過激のための過激」としか思わなかった。けれど、彼らの音楽的な稚拙さを笑う余裕が自分のなかから消えたとき、その意味に気付いて立ち止まった――「大人はもういない」。
ロックンロールに出会った少年が“美ちなる方へ”向うとき、少年の前に立ち塞がり行く手を阻むのは誰か。親でも先生でもなく、友だち。敵は大人ではなく、子ども。

神聖かまってちゃんの存在を知らしめた路上からの生ライブ配信。新宿や渋谷の駅前でPC片手に絶叫するの子の姿は、ロックンロールの「蛮勇」を証明しようしていると同時に、「逮捕されたがっている」ようにも映る。というよりも、その愚かな証明のために、行く手を阻む壁を、敵を探しているようにみえる。「大人探し」としてのゲリラライブ。
にもかかわらず、先日(4月8日)の渋谷駅前でのゲリラライブで交番に連行された後の、の子と警官とのやりとり――の子「踊り子だから俺。ドラクエⅣでもあるだろう、踊り子マーニャとかミネアとか」。警官「ミネアは踊り子じゃないだろう」。*1

子どもしかいない「子供ノノ聖域」で、子ども同士が殺し合い、警官でさえ子どもの奇弁を理解してしまう、そんな世界の変わり様。それが2010年の日本の現実なのか、一人の病んだ少年の現実感なのかは分からない。ただ、そのことを表現できた最初のロックバンドが神聖かまってちゃんなのだろう。

友だちを殺してまで。

友だちを殺してまで。

*1:マーニャ・ミネア:RPGドラゴンクエスト』のキャラクター。