スピッツ「猫ちぐら」

デジタル配信でリリースされたスピッツの新曲「猫ちぐら」。新型コロナウイルス感染症により、社会や生活のあり様が潮が満ちるように少しずつ、しかし確実に変化を強いられるなかで、メンバー同士が顔を合わせることなく「リモート」で製作されたこの新曲は、タイトルも歌詞も曲もアレンジも、そしてジャケットもすべてが「あぁ、スピッツだ」という安心感を与えてくれる。ライナスが肌身離さず抱きしめている「安心毛布(セーフティ・ブランケット)」に包まれるようなその安心感は、いつの間にか自分の心を侵食していた緊張や不安の存在に気付かせてもくれる。

猫ちぐら」というささやかで愛らしいタイトルとは裏腹に、<作りたかった君と小さな/猫ちぐらみたいな部屋を>というフレーズは、それが「叶わなかった望み」であることを告げる。そして、さらに草野マサムネはこんなふうに歌う――。

驚いたけどさよならじゃない
望み叶うパラレルな世界へ
明日はちょこっと違う景色描き加えていこう

「パラレル」すなわち、どこまで延長したとしても永遠にまじりあうことのない二つの線――2016年にリリースされた「みなと」で、主人公が立つ港の防波堤とその先の水平線をふと思い浮かべた。<驚いたけどさよならじゃない>と歌われる前提にある、「喪失」のことを考えた。
失ったにもかかわらず、だからこそむしろ決して失われることない望み、叶わなかったからこそずっと願い続けられる望み.。その象徴としての「猫ちぐら」。永遠に交じり合うことはないがゆえに純粋さだけを増していく望みを抱えながら、力強くはなくてもどうにか生きて行こうよと、そんななけなしの勇気と優しさが、この曲にはある。

何が失われたのか不確かで、別れの挨拶を告げる機会もなく「さよなら」をしているような、そんな「曖昧な喪失」に満ちた世界の隅っこで、スピッツは離れていても新しい歌が生まれること、離れていても歌を届けられることに、挑んだのだと思う。だから、「猫ちぐら」というタイトルも含めてこの曲は、スピッツ一流の応援歌であると同時に、変化する世界の波にかき消されそうな小さな声を届けるプロテストソングでもあるのだと思う。

曲の後半で歌われる<弱いのか強いのかどうだろう?/寝る前にまとめて泣いている/心弾ませる良いメロディー/追い続けるために>というフレーズを聞いて、2011年の東日本大震災直後に、草野マサムネが急性ストレス障害になったことを 思い出した。この曲は、泣けること、そして追い続けたい夢があることが強さなのだと教えてくれているように感じた。

猫ちぐら

猫ちぐら

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THE YELLOW MONKEY 「未来はみないで」

2020年4月4日と4月5日に予定されていた、ザ・イエローモンキの東京ドーム公演は、新型コロナウィルス感染症の影響により「開催延期」となった――結成30周年を祝うバンド史上初のドームツアーが発表された昨年8月はもちろん、この新曲が発表された今年3月半ばでさえ、この「未来」は予想できなかった。にもかからず、あるいはそれゆえに、「未来はみないで」というこの曲はバンド自身の意図を超えた意味を帯びて聞こえる。

2016年1月のイエローモンキーの再集結にあたって最初に発表される予定だったこの曲が、2020年3月に再集結後の一連の活動を締め括る「ファンへの私信」のようにリリースされ、そして気が付けば「予測不能」と「不確実」だけが約束されている2020年4月初旬の日本の状況とシンクロしていることを感じ、ロックンロールが、風に舞う花びらのように、作者の手のひらから飛んでいく瞬間を目撃しているような気分になった。そして、ふと、2011年の3月18日、東日本大震災後初めての生放送の音楽番組で、吉井和哉がリリース間近のアルバムから「FLOWER」を歌った時のことを思い出した。

時に、歌には、それが作られた時の作者の想いや状況を超えて、図らずも社会や歴史と交錯する瞬間が訪れるのかもしれない。あるいは、社会や歴史が急に表情を変えるその瞬間に、「交錯するに足る歌」というものが浮かび上がるのかもしれない。そういう歌はというのはむしろ、社会や歴史などというものを殊更意識することなく、エゴイスティックなまでに「自分の人生」に向き合った極私的な愛の歌なのかもしれない。

この曲を聴くたびにいつも、あるいは聴き終わった後にずっと、曲のタイトルでもある未来はみないでというフレーズと、曲の最後に歌われる<また会えるって 約束してというフレーズが心の奥に留まり、頭の中を巡る。「みないで」「約束して」という吉井和哉の声が、願望の表出のようにも状態の叙述のようにも聞こえて、向かい合って笑顔で手を振りながら少しずつ遠ざかっていくような、温かくも寂しい気持ちになる。そして、そういう複雑な情感が、「イエローモンキーらしさ」という唯一無二のオリジナリティとして、余計な説明や理屈抜きにすとんと心に響いてくることが、実はとてもすごいことなのだと感じる。

曲の後半、力強い声で吉井和哉はこんなふうに歌う。

好きな歌を一緒に歌わないか? そのために歌があるなら

“JAM”の<素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから/好きな歌を歌う>というフレーズを思い出す。「好きな歌」が自分の空虚を埋めるものではなく、誰かと分かち合うためのものとして歌われていることに、何とも言えない感慨を覚える。ライブの動員やアルバムの売り上げという数で示せる側面以上に、こうした言葉が宿す意味の変容に「バンド結成30年」という時間の重みがあり、そしてそれをともに味わえるファンの幸福があるのだと思う。

 みえない未来のその先で、未来が笑っていることを、この曲を再びライブで聞けることを願っている。  

未来はみないで

未来はみないで

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『ジュディ 虹の彼方に』

映画『オズの魔法使い』で有名なミュージカル女優、ジュディ・ガーランドの伝記的映画『ジュディ 虹の彼方に』を観た。「ショウビジネスの光と影」「大スターの栄光と苦悩」というクリシェに落とし込まれがちな物語ではあるけれど、主人公をスターダムに押し上げた映画スタジオの裏側と晩年のジュディの姿のリアルな描写によって、その物語はクリシェでは割り切れない、複雑で多面的な人物像を描いていた。

 

 静かな虐待
映画は、ジュディの亡くなる半年前のロンドン公演の日々を軸に展開しつつ、トラウマのフラッシュバックのように差し挟まれる少女時代の回想が、薬とアルコールと不眠症でついにはステージをまともに務められなくなってしまう最晩年の彼女の姿を説明していた。
少女時代の場面はすべて、映画の撮影所のシーンで、彼女が撮影所という「檻の中の鳥」だったことを象徴していた。そんな生活への怒りからプールに飛び込んだジュディは解放された表情を見せるものの、それがセットの小さなプールであることが、むしろ彼女の「逃れられなさ」を強調していた。

薬物によって食事と睡眠をコントロールされながら長時間労働を強いられる姿は、「虐待」と言えるものだった。けれど、それは明確な暴力や暴言によってではなく、静かに遂行されていた。ジュディのささやかな反抗に対して、映画スタジオのプロデューサーであるメイヤーは紳士的な態度と諭すような言い回しによって、撮影所以外では彼女は無価値な存在で居場所がないのだという「呪いの言葉」をかけていた。その巧妙な脅しによって、ジュディが謝罪と感謝の気持ちを述べる姿は、虐待と洗脳は一つのことなのだと伝えていた。

映画の終盤、撮影の都合で2か月早まった「16歳の誕生日」に用意された偽物のバースデーケーキとそっくり本物のケーキを前に、嬉しさで胸がいっぱいなのか、食べ方が分からないのか、身体が受け付けないのか、そのいずれでもある様子で、ゆっくりとほんの一かけらのケーキを口に運ぶジュディの姿は、失われた少女時代のほんのわずかの回復とともに、それを完全に取り戻すことの困難を象徴していた。

 

 賢明な母親

映画は、少女時代に背負った負の財産(薬物とアルコールへの依存、不眠症)によって早逝した悲劇の女優という物語をなぞりつつも、彼女のもう一つの顔もまた描いていた。それは、子どもに対する「母親としてのジュディ・ガーランド」の姿だった。
楽屋すらない巡業の開演前に子どもの衣装を整える場面、子ども達を残してロンドンに発つ前のクローゼットの中で抱き合う場面、そして電話ボックスで父(離婚した夫)と暮らす選択を娘から告げられる場面――浮き沈みの激しいステージ上の姿とは裏腹に、母親としてのジュディは一貫して優しく愛情深い態度を貫いていた。

特に印象的だったのは、彼女が子ども達の欲求を決して否定せずに満たそうとしていた姿だった。娘ローナがルームサービスで「ハンバーガーとポテト」を注文した場面と、「眠れない」と起き出してきた息子ジョーイにホットミルクを作ってあげる場面――少女時代の回想では、ダイエットのためにハンバーガーとポテトを食べさせてもらえず、「眠れない」という訴えに大人の都合で睡眠薬を与えられていたこととは対照的に、母親としてのジュディは、彼女が少女時代に受けた仕打ちを子どもに繰り返すことのない、適切な関わりのできる母親だったことが描かれていた。

娘ローナが父親(離婚した夫)の家で暮らしたいと告げる場面は、この映画の中でも最も絶望に満ちた場面であったけれど、涙を押し殺して子ども達の選択を受け入れるジュディの姿は、彼女が「賢明な母親」であったことを証明していた。

別の言い方をするならば、少女時代のジュディが与えられなかったもの(食べたい物を食べる、眠りたい時に寝る、居心地の良い場所で暮らす)を、彼女は自分の子ども達には与えることができていたのだということ。娘ローナが自分にとってヘルシーな暮らし方(母親とではなく父親と暮らす)を選択できたことは、ジュディがそのように選択できる力を娘に育てたのだとも言える。それはちょうど、ステージに上がることの緊張や不安に押しつぶされそうになる母親ジュディとは対照的に、二番目の夫との娘である、若きライザ・ミネリの「(ショーには)不安を感じないの」という屈託のない笑顔からも傍証されていた。

この映画がジュディ・ガーランドの名誉に資するものであるとするならば、その一部は、彼女が「賢明な母」であったことを描いた点にあるのだといえる。

 

 ファンからの贈り物

スターの伝記的映画の中でも、この映画のように、ファンの存在と彼らの力を描いた映画は珍しいのではないかと思う。「希望」というものの得難さがモチーフであるかのようなジュディ・ガーランドの生涯において、ファンの存在が、「彼女の人生には確かに希望があった」ということを証明していた。特に、ロンドン公演に通いつめ楽屋口で入待ち出待ちをするゲイのカップルの姿は、「ファンの人生」におけるスター(推し)の存在のかけがえのなさを体現していた。ジュディから食事に誘われた時の、当てにしていたレストランが閉まっていた時の、そして自作のオムレツが失敗した時の、彼らの狼狽ぶりと慌てっぷりは、スターに対するファンの愛情と尊敬の純粋さと深さを愛おしくかつリアルに映画いていた。

また、ジュディを診察した医師から『オズの魔法使い』のドロシーに憧れていたことを告白される場面。医師の告白に対して「男の子はみんな、おさげ髪が好きなのよ」とかつての自分の人気を「記号として消費されたもの」であるかのように自嘲するジュディ。その後に医師が続けた「犬を大切にしていたから」という言葉を聞いて、診察台に腰かけたジュディが虚を突かれたような表情で足を内股気味にだらんと投げだした姿が姿がとても印象的だった。その姿はまるで「そんなこと言われたのは初めてだわ」と困惑する少女のようだった。

スターが見せていないつもりの、あるいは隠してさえいるつもりの、役柄を超えた、仮面の奥にあるスターの本性を、ファンというものは直観で見抜いているのだろう。ファンとは、スター自身以上にスターを理解しているものなのかもしれない。そして、そうした「理解」もまた、スターがファンから受け取る愛情の一つなのかもしれない。その意味でこそ「ファンはスターの鏡」となり得るのかもしれない。

 

彼女が掴んだ希望
映画のラスト、度重なるトラブルにより契約が打ち切られたロンドン公演のステージ袖で、ジュディは「1曲だけ歌いたい」とステージに上がる。強いられ、騙され、めだめすかされてではなく、自らが望んでステージに向かう彼女の姿に、少女時代の回想が重なる。ジュディの記憶では「ふられた」相手である、ミュージカル映画の相手役ミッキーの誘いを断って、出番の終わったステージに向けられる拍手喝采に微笑むジュディ。その笑顔は、彼女の少女時代の全てが悲劇だったわけではなく、映画やショーの中で彼女自身が掴んだ希望も確かにあったことを伝えていた。
だからこそ、最後に歌われた“Over The Rainbow”の歌唱シーンは、圧巻であると同時に、この歌唱の半年後に訪れた彼女の人生の終わりのとのコントラストを強めていた。葬送曲のような静かなエンドロールは、希望と絶望の両方を舌の上にのせて味わうような、なんともいえない美しさと切なさの余韻に満ちていた。

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映画『ジュディ 虹の彼方に』公式サイト

ザ・クロマニヨンズ ツアー PUNCH 2019-2020 (2020/02/19 千葉市民文化会館)

通算13枚目のオリジナルアルバム『PUNCH』を引っ提げての全58本に及ぶ全国ツアーのホールライブ初日。新作でヒロトが<アア ヤヨイ マヂカ リリィ>(リリィ)と歌う声が頭の中で再生されて、まさに今の季節にぴったりだと思いながら、会場に向かった。
ライブ前のサウンドチェックの時点で、ドラムの音もベースの音もギターの音も、とにかく重くて鋭い。つまり、かっこいい。

『PUNCH』と同様にライブの1曲目は“会ってすぐ全部”。サビで歌われる<ブルースをかきわけて パンクロックが行く>というフレーズ通りの疾走感の一方で、かきわけたはずのブルースもまた顔をのぞかせる感触が新作のアルバムの作風に重なった。
ライブ中は駆け抜けるロックンロールのカッコよさに圧倒されていたけれど、ライブが終わってみると、ホールならではの演出も相まって、ミディアムテンポの曲の余韻が後を引いていた。特にマーシー作の“小麦粉の加工”や“整理された箱”、“長い赤信号”は、日目に留まることさえないような日常の風景を繊細な言葉と爆音のギターで忘れがたい光景のように切り取っていた。

小麦粉の加工所から水蒸気
季節の恐竜が首をもたげる
(小麦粉の加工)

こぼれ落ちるレモネード
痩せた駱駝の背中に
英雄のほほえみ
(長い赤信号)

言葉だけなぞれば、それはビートニクスの詩のようでもあり自由律俳句のようでもあり、さらには作者不明の童謡のようでもあるけれど、爆音のステージから聞こえてくるのは紛れもないロックンロールだった。


2月27日、クロマニヨンズの公式ウェブサイトで、「2月26日新型コロナウィルス感染症対策本部より政府に要請された方針に基づき」として、5公演の延期が発表された。
ふと、前作の『Rainbow Thinder』の“サンダーボルト”を彷彿とさせる、ヒロトが一つ一つの言葉を噛みしめるように歌った“リリィ”で、<春はまた やってくる 同じ顔をした 別の春>と歌っていたことを、思い出した。同時に、先行シングルの“クレーンゲーム”の<やる事やるだけ 生活のドアホ>という日常を抱きしめつつ蹴飛ばす勇ましさも思い出した。

今年の春はどんな春になるのだろうかと考えながら、クロマニヨンズの「変わり続ける変わらなさ」に、今年もまた会えたことに感謝したいと思った。

 ザ・クロマニヨンズセットリスト(2020/02/19)
会ってすぐ全部
怪鳥ディセンバー
ケセケセ
デイジー
ビッグチャンス
小麦粉の加工
あったかい
底なしブルー
クレーンゲーム
ガス人間
整理された箱
リリィ
長い赤信号
単ニと七味
生きる
どん底
雷雨決行
ギリギリガガンガン
ナンバーワン野郎!
ロケッティア

 

―encore―
突撃ロック
ギリギリガガンガン
クロマニヨン・ストンプ

THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary DOME TOUR(2020/02/11 京セラドーム)

開演5分前、白いユニフォームが眩しいブラスバンドがステージ左右の端に並びフランク・シナトラの‟My way”を堂々と奏でた後、趣を変えてアッパーな演奏が始まったと思ったら、そのメロディは‟見てないようで見てる”だった。その演奏が進むにつれて徐々に会場の照明が落ちていき、ステージにメンバーが登場した。1曲目は‟ロマンティスト・テイスト。どこか余裕さえ感じさせる、華やかなライブの幕開けだった。
ステージに登場した吉井和哉は、鮮やかな緑のジャケット、紫のシャツ、赤いパンツ、アニマルプリントのネクタイ、ゴールドの靴――まるでヒース・レジャーホアキン・フェニックスの「ジョーカー」を掛け合わせて、それをさらにクレイジーにしたような出で立ち。ジョーカーの方が上品に見えるほどの、その派手な姿は「ロックスター」という「絶滅危惧種」の存在をあえてアピールしているようでもあった。2020年の現在においては、ジョーカーの方がスタイリッシュに思えるほど、ロックスターというスタイルはちょっと時代遅れであるのかもしれないということ。けれど、そのことを吉井和哉が意識していないはずがなく、その姿にはむしろ時代遅れ(かもしれない)のロックスターを全うしようとする覚悟のようなものを感じた。

すべてのライブでセットリストを変えるという今回の3大ドームツアーの趣旨通り、12月28日の名古屋ドームと大きく変わったセットリストは、「ザ・イエローモンキー」に期待されるロックンロール・チューンを十二分に詰め込んだとてもキラキラしたセットリストだった。「完璧」なまでにファンの期待に応えたセットリストだと思った。

その中で、個人的に印象に残ったのは、2001年の活動休止直前の曲だった。‟カナリヤ” “バラ色の日々” ‟BRILLAINT WORLD”――これらの曲に貼りついた、あの当時の今思い出してもヒリヒリとするような感情は、今となってはどこか懐かしくもある。特にライブ本編の最後に歌われた‟BRILLIANT WORLD”。<最高の世界へ>と歌われたものの、それがどこか空手形のように聞こえ、何が「最高」なのか見失ってしまったがゆえの解散なのだと当時は感じた。けれど、20年を経て歌われるその美しい言葉と美しいメロディは大型スクリーンに映し出された吉井和哉の当時と変わらないどこか張りつめた表情と相まってとても感動的だった。

‟バラ色の日々”の直前のMCで吉井和哉は、「60年代70年代のロックンロールの魔法」を追い求めているのだと語った。ロックンロールの奇跡や夢を追い求めているというその言葉とは裏腹に、今日のライブはこのバンドがすでにその奇跡や夢を成し遂げていることを示してもいた。だから、ドーム級のライブにおいてすらどこかリラックスした余裕を感じさせるこのバンドにとっては「この先どこに向かうのか」というビジョンの曖昧さだけが、バンドの弱点なのかもしれないと感じた。

今回のドームツアーをもってバンド活動を少し休むことについて、吉井和哉はバンドを継続させるためなのだと語っていた。「継続こそ前進」と。けれど、その「前進」の先にあるものが何なのか、吉井和哉自身今ひとつその答えを掴みあぐねているような、的確な言葉で言い当てられないような、そんな印象が残った。けれど、だからこそ、夢を追うことを歌った「バラ色の日々」で<I'm just dreamer>と歌う吉井和哉の表情はどこか切実でもあった。

ライブの最後は、今日初めてライブで演奏された曲だった。バンド再集結にあたって最初に作られていた曲‟未来は見ないで”。「時計のリューズ」「薄紅色」「ほうき星」――吉井和哉の詩才の繊細さと奥深さがメロディの優しさとともにぎゅっと胸に迫ってくる曲だった。未来へ踏み出す覚悟を仄めかしつつ「もう少しだけ立ち止まっていたい」という言葉にならない感情に後ろ髪引かれているこの曲が、ドームライブの最後で歌われることの意味を考えた。そう考えながら見つめたステージには白い照明の線描が幾重にも交差していて、まるでイエローモンキーがガラス細工のドームの中で演奏しているような美しさだった。

明るい未来を前に立ちすくんでいるようなこの曲は、闘い続け、勝ち抜いた者だけが感じる稀有な感傷なのかもしれないと思った。夢を叶えようとすること自体がひとつの「夢」ならば、「夢が叶う」ということは「夢の喪失」であるのかもしれない。十分すぎるほど完璧なライブの最後に<未来は見ないで 今はここにいて/昔のことだけ 話したっていいから>と歌う吉井和哉は、もしかするとそんな「夢の喪失」と向き合っているのかもしれないという気がした。それをどう乗り越えるのかという答えは、このドームツアーではなく、その先、休止後の再始動にあるのかもしれないと思った。

いいライブだった。けれど一方で、単に「いいライブだった」で終わらせなくない複雑な気持ちにもなる何かが今回のドームツアーにはある。

THE YELLOW MONKEY セットリスト(2020/02/11)
Romantist Taste
楽園
Rock Star
Ballon Ballon
FINE FINE FINE
MOONLIGHT DRIVE
球根
カナリヤ
Four Seasons
Foxy Blue Love
SLEEPLESS IMAGINATION
砂の塔
嘆くなり我が夜のFantasy
LOVE LOVE SHOW
JAM
DANDAN
ロザーナ
天道虫
SAPRK
バラ色の日々
太陽が燃えている
SUCK OF LIFE
BRILLIANT WORLD

 ―encore―

SWEET&SWEET
ARLIGHT
悲しきASIAN BOY
未来はみないで(新曲)

THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary DOME TOUR(2019/12/28 ナゴヤドーム)

ザ・イエローモンキーが、現在のバンドメンバーで初めてライブをした日が、1989年12月28日。それから30年の時が流れ、バンドの30歳の誕生日でもありバンドのキャリア史上最大規模となるドームツアーの初日となったライブは、序盤、中盤、終盤と進むなかで、ライブの印象がどんどん変わっていった。ライブを通してこんなに印象が変わるライブは珍しいと思った。

その珍しさは、このバンドにとってはもはやドームでライブをすることがゴールなのではなく、ドームでどんなライブをするかという次の階段にこのバンドが足をかけていることを示唆しているようだった。「30年」という時間の重みに足を取られることなく、むしろ軽やかにさりげなく「挑戦」を試みているような、そんなライブだった。

ライブは‟SECOND CRY”で幕を開けた。ふと、この会場に少なくないであろう最近ファンになって今日が初めてのライブだという人を思い浮かべ、心の中で「驚かせて、ごめんなさいね。こういうバンドなの。でも、この曲にちょっとでも惹かれるものを感じたら、このバンドはあなたを絶対裏切らないと思う。心配したことは何度もあったけど、裏切られたことは一度もなかったから」と呟いた。その言葉がまさに私とイエローモンキーの歴史なのだと思った。
と同時に、その曲をメインステージにいるメンバー3人を背にして、アリーナ中央のセンターステージで一人歌う吉井和哉の姿は、なんだか少し寂げだった。堂々たる歌唱の一方でそんなことを感じることが不思議だった。けれど、その不思議な違和感は、大型スクリーンに映し出される吉井和哉の表情からも感じられた。ライブ序盤の吉井和哉の表情はどこか硬く、疲れている感じさえした。

その印象がガラっと変わったのは、‟球根”を歌い上げた後、センターステージに移動し、初期の‟This Is For You” ‟Foxy Blue Love” ”SLEEPLESS IMAGINATION"を続けて演奏したあたりからだった。吉井和哉の表情も動きも、みるみる明るく弾けてくるのを感じた。
特に印象的だったのは、結成当初はバンドへの加入を渋っていたエマがツアーで訪れた名古屋の民宿でバンドメンバーとなる返事をしてくれた、という思い出を語った後の"This Is For You”。エマが初めてイエローモンキーで作曲したこの曲の終わり、エマが吉井和哉のそばに歩み寄ってアイコンタクトを取ろうとしたけれど、吉井和哉はその気配に気づきつつ少し頬を緩ませながらも結局エマと目を合わせなかった。その姿が、まさにまさに「THE 吉井和哉」という感じでとても印象的だった。何万人もの聴衆の愛情を一身に浴びるロックスターであると同時に、自分に差し向けられた素朴な愛情に照れる不器用なその姿に、「どうかずっとそのままでいてほしい」とさえ思った。

そしてセンターステージで、初期のグラムロック色の濃い曲から、最新アルバムの‟I don't know”、代表曲の‟BURN” ‟LOVE LOVE SHOW” ‟JAM”が立て続けに演奏されたセットリストは、ドームのスケール観にバンドを合わせるのではなく、むしろバンドのライブの在り方にドームをアジャストさせようとする挑戦を感じた。そして、その挑戦は、ドームの大観衆を、ライブハウスのような小さなセンターステージの演奏だけで魅了できるというバンドの力量と、新たなドームライブの可能性を示していた。

センターステージからメインステージに戻るインターミッションでは、ステージ左右のスクリーンに結成したこの30年間のライブ歴が映し出されるとともに、バンド結成間もない頃のデモテープの未発表曲が流れた。そのテープのインデックスには、手押しスタンプによる曲名とメンバー名の他に、「STRANGE BOYZ FROM JAPAN」とあった。直訳すると「日本からやってきた奇妙な少年達」――欧米へのコンプレックスと憧れの両方を抱えたジャパニーズ・ロックンロールという、バンドの自意識と美意識が結成当初から変わらぬものであることが垣間見えるようだった。そして、それから30年を経て、その奇妙な少年達は、押しも押されぬロックスターになった。

ライブ本編の終盤、「お父さーん」と叫んだ後で歌い出された‟Father”。この曲を初めてライブで聞いた。さまざまな景色を映す飛行機か列車の窓を背景に<気絶するほど遠くまできた><今僕は奇跡のかけらの指輪を探してる>と歌う吉井和哉の姿だけでもう十分だと思った。亡き父を想って歌う吉井和哉は、他のどの曲を歌う時にも見せない、満たされた表情を浮かべていた。

そして、この曲に続いてライブ本編の最後に歌われた‟シルクスカーフに帽子のマダム”が、この日のライブの白眉だった。ザ・イエローモンキーを貫いてきた自意識と美意識をまさに1曲で証明するような、そんな曲であり演奏だった。バンド名の由来を身近にあった戦争の記憶とともに語り、自分の中にいる「浮かばれない女性」のために歌っていると語った後に歌われたこの曲は、‟SECOND CRY”から始まった今日のライブが、いくつものハイライトを経ての1曲に収斂していくかのような、説得力を持っていた。ドームのライブ本編ラストをこの曲で飾るということそれ自体が、このバンドの30年の歩みとは「イエローモンキーがイエローモンキーを裏切らなかった」ということだったと証明しているように思えた。

いいライブだった――と思う。けれど、このライブを「いいライブだった」で締め括ってしまうと、この後の大阪ドーム、東京ドームのライブで何も言えなくなってしまうような、そんな予感もある。だからこう言おうと思う。私の大好きなイエローモンキーのライブだった。 

 

 付記:ライブのどこで演奏されるか楽しみだった‟DAN DAN”はライブ後半の幕開けに。本物のチンドン屋さんが花道とステージを練り歩いてからの演奏は、イエローモンキーにとても似合っていた。チンドン屋さんの派手でにぎやかな外見と裏腹のどこか物悲しくて切ない音楽という組み合わせは、「イエローモンキー的」だと感じた。チンドン屋さんのちょんまげに着物の男性の姿に、ふと、大衆演劇の役者だった吉井和哉の父親のことを思った。

THE YELLOW MONKEY セットリスト(2019/12/28)
SECOND CRY
ROCK STAR
SPARK
Ballon Ballon
A HENな飴玉
追憶のマーメイド
球根
This Is For You
LOVERS ON BACK STREET
Foxy Blue Love
SLEEPLESS IMAGINATION
I don't know
BURN
LOVE LOVE SHOW
JAM
DAN DAN
パンチドランカー
天道虫
I
SUCK OF LIFE
Horizon
Father
シルクスカーフに帽子のマダム

 ーencoreー
おそそブギウギ
アバンギャルドで行こうよ
バラ色の日々
ALRIGHT
悲しきASIAN BOY

THE YELLOW MONKEY 「DANDAN」

ザ・イエローモンキーには12月がよく似合う。
現在のメンバーになって初めてのライブが12月28日だったという「縁」もあるように、このバンドには、過ぎ去っていくことの感傷と新たに迎えることの希望が交錯する季節がとてもよく似合う。賑やかな風景の裏にある切なさと、それを大切に抱えつつも次なる場所へと進む姿は、まさにこのバンドの歩み方を思い起こさせる。
結成30周年を記念した新曲「DANDAN」を初めて聞いたとき、まさにそんな季節の風景が、その温度や空気の匂いまで感じられるようで、「まさに、ザ・イエローモンキーの」新曲だと思った。

ブラスが華やかさを添えるイントロで「どこかで聞いたような・・・」と思わせつつも、「あぁ、イエローモンキー!」と感じられる軽快・軽妙なメロディ、「周年セール」「離岸流」などおそらく日本語のロックンロールで初めて歌われるであろう言葉を巧みに散りばめた歌詞――そこはかとない懐かしさと確かな余裕を感じさせるこの曲は、「30年目の新人」のようなみずみずしさと軽みを湛えていて、何度も何度も繰り返し聞いている。特に、冬の晴れた日の朝の空気に、この曲はよくなじむ。
そして、曲の終わり、吉井和哉はこんなふうに歌う。

どんな夢も叶えるあなたに会えたよ
どんな痛みにも耐えるあなたに会えたよ

もしこの2行の順番が入れ替わっていたら、曲の印象はだいぶ変わるような気がする。だからこそ、やはり「どんな痛みにも耐えるあなた」を曲の最後に歌うところに、吉井和哉から吉井和哉自身への、バンドメンバーへの、そしてファンへの信頼と感謝を感じる。

そして、「DANDAN」というタイトル。このタイトルが象徴するように、イエローモンキーの30年の歩みとは、魔法の絨毯やジェットコースターに乗って運ばれることではなく、「正しかった出会い」と「間違った出会い」をくり返しながら、長い階段を一歩ずつ登ることだったのだと思う。長い階段の途中で、振り返った時に見下ろした景色に感じる愛おしさのような感情もまた、この曲の通底音になっている。

バンドが30歳となる12月28日を皮切りに、バンドのキャリア史上最大規模となる東名阪ドームツアーが始まる。イエローモンキーはまた一つ階段を登ろうとしている。そのライブのセットリストにこの曲がどう組み込まれるのかが楽しみだ。冒頭でも、終盤でも、アンコールでも、ライブのどこで歌われても、この曲は映えるだろう。

ドームツアーの4公演、全て見届けようと思う。 

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